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壇場山古墳(だんじょうざんこふん)は、兵庫県姫路市御国野町国分寺にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。 中播磨・西播磨地方では最大規模、兵庫県では第3位の規模の古墳で、5世紀前半の築造と推定される。 本項目では、壇場山古墳の北西方にある山之越古墳(国の史跡に包含)についても解説する。 == 概要 == 姫路市東部、市川左岸の段丘上に位置する。神功皇后が壇を築き祈念した地とする伝承があり、名称の「壇場山」はこれに由来する。現在までに踏査・測量等の調査は行われているが、墳丘・主体部に関しては未調査である。 墳形は前方後円形で、前方部を北西方に向ける。墳丘は3段築成で、段丘を切り盛りして築造されており、墳丘長は約143メートルを測る。その規模は中播磨・西播磨地方において最大で、兵庫県内でも五色塚古墳(神戸市垂水区、194メートル)に次ぎ、雲部車塚古墳(篠山市、158メートル)や池田古墳(朝来市、135メートル)と同等のものになる。墳形は仲津山古墳(大阪府藤井寺市)に類似し、墳丘のくびれ部には東西両側に造出を有する。墳丘表面には葺石が葺かれ、円筒埴輪や、盾形・家形・短甲形・葢形などの形象埴輪も検出されている。墳丘周囲には幅約10-20メートルの盾形周濠が巡らされ、墳丘西側には周濠外側に周庭帯が認められているほか、外周域には陪塚数基が存在した(うち現存2基)。主体部の埋葬施設(内部施設)は竜山石製長持形石棺の直葬で、現在も後円部墳頂において石棺の蓋石を露出する。この石棺の開蓋の有無は明らかでないが、後円部からは鉄鏃と刀剣が出土したと伝わる。 この壇場山古墳の築造時期は、5世紀前半と推定されている。被葬者は明らかでないが、播磨国造(針間国造)の人物とする説がある。また、壇場山古墳と雲部車塚古墳とが規模・埋葬石棺の点で類似することから、ヤマト王権に対してこの2古墳が同等の位置づけにあったとする説もある。壇場山古墳に先立つ首長墓は西播磨の輿塚古墳(たつの市、約110メートル)とされ、そこから勢力が東に伸長して中播磨の壇場山古墳に移り、次いで壇場山古墳の北西の山之越古墳(一辺約60メートルの方墳)に継承されたと推測される。 古墳域は、1921年(大正10年)に陪塚2基や山之越古墳と合わせて「壇場山古墳 第一、二、三古墳」として国の史跡に指定された〔。古墳周辺は現在までに宅地化が進んでいる。なお、付近には播磨国分寺跡・国分尼寺跡がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「壇場山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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