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山六郎 : ミニ英和和英辞書
山六郎[やま ろくろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ろく]
  1. (num) six 

山六郎 : ウィキペディア日本語版
山六郎[やま ろくろう]

山 六郎(やま ろくろう、1897年 - 1982年)は、日本のイラストレーター装丁家である。
== 人物・来歴 ==
1897年(明治30年)、高知県内、現在の安芸市に生まれる〔#外部リンク内の「高畠華宵大正ロマン館」公式サイト内の「山六郎」リンク先の記述を参照。〕。
旧制・京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)を卒業後、中山太陽堂(現クラブコスメチックス)に入社した〔。
1922年(大正11年)に同社が併設した出版社・プラトン社に出向し、同年4月、中山太陽堂顧問の小山内薫編集のもと、山が装丁をし、タイトルロゴを制作し、扉絵等を描いた雑誌『女性』が創刊された〔。翌1923年(大正12年)、山の装丁に注目した山名文夫が入社、また編集者として、直木三十二(のちの直木三十五)、川口松太郎も入社し、同年12月には雑誌『苦楽』が〔#外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイト「資料室」リンク先の記述を参照。〕、1926年(大正15年)1月には雑誌『演劇・映画』が創刊され、同誌および直木の手がけた単行本のヴィジュアル・ワークも手がけた〔。同年8月には『演劇・映画』は休刊した。
1928年(昭和3年)5月にプラトン社が廃業し、2誌も廃刊〔、山は東京に移り、平凡社新潮社等でひきつづき装丁の仕事を手がけた。
48歳となる1945年(昭和20年)に第二次世界大戦の終戦を迎え、その後、高知に帰郷する。県内での美術の教育普及活動や高知県美術展覧会(高知県展)などで活躍した〔。
83歳を迎える1982年(昭和57年)に高知県内で死去した〔。同じ年に生まれた山名文夫は、1980年(昭和55年)1月14日に亡くなっている。
没後22年が経過した2004年(平成14年)10月16日 - 12月12日、愛媛県にある「高畠華宵大正ロマン館」で、「大正イマジュリィの6人展 - 非水・夢二・華宵・六郎・かいち・北烏 -」と題し、山の戦前の作品等が展示された〔。2006年(平成18年)に開かれた第60回高知県展では、グラフィックデザイン部門に同年から「山六郎賞」が設置された〔高知新聞朝刊、2006年07月04日付記事「県展全部門に新人賞 60回の節目で大賞も 」の記述を参照。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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