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山内テツ : ミニ英和和英辞書
山内テツ[やまうち てつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

山内テツ : ウィキペディア日本語版
山内テツ[やまうち てつ]

山内 テツ(やまうち てつ(Tetsu Yamauchi)、本名:山内 哲夫(やまうち てつお) 1946年10月21日 - )は、福岡県福岡市出身のミュージシャンベーシスト。イギリスのロックバンドフリーおよびフェイセズのメンバーだったことで知られる。
== 来歴 ==
マイク真木のバンド、ザ・マイクスで音楽活動を開始。ミッキーカーチス&サムライのメンバーとして海外遠征を経験。麻生レミのバック・バンドなどで活動中、来日中だったフリーのメンバー、ポール・コゾフサイモン・カークとスタジオで出会い意気投合。渡英し、1972年にコゾフ・カーク・テツ・ラビットとしてアルバム「Kossoff Kirke Tetsu Rabbit」を発表した。
1972年、再結成したフリーアンディ・フレーザーの後任ベーシストとして加入する。翌1973年、作曲に参加したシングル「Wishing Well」〔Discog Free-Wishing Well 〕は全英チャート7位(Music Week)を記録。その後、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。1974年にも作曲に参加したシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」〔Discog Faces-You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 〕が全英チャート12位(Music Week)のヒットを記録している。当初はイギリスのミュージシャンらが所属するユニオンに加入できず活動が制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が後押しし、問題解決へとつながった。フリーおよびフェイセズのメンバーとして日本での凱旋ライヴも行っている。
フェイセズ解散後に帰国し、山内テツ&グッド・タイムズ・ロール・バンドを結成しライヴ・アルバムを発表。1985年にはフリージャズのドラム奏者、羽野昌二と共にOpe Bandを結成し、1990年まで活動した。その後も羽野と共に、アルバム「Dare Devil」(1992)、「気」(1996)に参加している。
2011年現在は表立った音楽活動は行なっておらず、フェイセズ再結成への参加やメディアへの取材対応も一切断り、家族と共に静かに暮らしている〔Tetsu Yamauchi and his family are fine 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山内テツ」の詳細全文を読む




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