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山内六三郎 : ミニ英和和英辞書
山内六三郎[やまうち やまのうち さんない]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ろく]
  1. (num) six 
: [み]
  1. (num) three 

山内六三郎 ( リダイレクト:山内堤雲 ) : ウィキペディア日本語版
山内堤雲[やまのうち ていうん]

山内 堤雲 / 山内六三郎(やまのうち ていうん/ろくさぶろう、1838年11月3日天保9年9月17日) - 1923年大正12年)2月5日)は、江戸時代幕臣、明治時代の官僚


==経歴==
江戸において、旗本伊奈氏家臣の山内豊城(徳右衛門)の三男として生まれる〔『幕末維新大人名事典』下巻、632頁。〕。天保14年8月、七歳の時に父が仕えた伊奈遠江守が京都の東町奉行を命じられたため、家族一同で上京。京都時代に知恩院で、父の友人の画家・冷泉為恭狩野永泰の三男)の弟子になり、画を習う。

江戸に戻って、霞ヶ関の裏の汐見坂の駒井大和守の邸内に住む。ここで知り合った能役者に、能役者になることを勧められ、毎日声を張り上げて謡っていたところ、声が枯れて出なくなり、開業したばかりの林洞海のところに行くと怒られ、能役者になることをあきらめる。
15歳で、佐倉の母方叔父である佐藤泰然に学僕として入門し、洋学者の道を歩むこととなる。泰然の下で調合製薬、講義書の書き取り、手術の手伝いなどをしながら、蘭学を始めた。この時期の様子は、司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」に描かれている。
文久3年(1863年)、遣仏使節・池田長発 に随行。慶応3年(1867年)、パリ万国博覧会に派遣された徳川昭武の通訳として随行する。帰国後の箱館戦争では、縁戚である榎本武揚 の書記官・通訳として林董とともに軍に加わり禁固されるが、頭脳明晰さが黒田清隆に認められ、解放後に開拓使に登用される。開拓使では、幌内炭鉱の開発にも関わった。〔全国版幕末維新人物事典〕
その後、工部省農商務省逓信省を経て、1890年(明治23年)鹿児島県知事に就任。1896年(明治29年)から1897年(明治30年)まで初代八幡製鉄所長官を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山内堤雲」の詳細全文を読む




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