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山内 和宏(やまうち かずひろ、1957年9月1日 - )は、静岡県浜名郡浜北町於呂(現・浜松市浜北区於呂)出身の元プロ野球選手であり、右投右打の投手である。 == 来歴・人物 == 浜名高校卒業、駒澤大学中退後、フリーター生活を経て、高校のOBの勧めにより社会人野球のリッカーに入社。1981年にドラフト1位で南海に入団。エース格の山内新一、1年遅れで同期入団となった山内孝徳と共に「山内トリオ」として売り出され、背番号も連番だった(本人は18番、山内孝徳19番、山内新一20番) 1年目は防御率こそ高いが先発として5勝をマーク。翌年には11勝を挙げ、1983年には18勝を挙げて最多勝のタイトルに輝く。1982年から1985年まで4年連続の2ケタ勝利投手となる。1987年にも10勝を挙げて先発の柱として君臨した。 右腕の血行障害に悩まされるなどで成績が落ち、1990年のシーズン途中に杉本正・高島覚との交換トレードで中日へ移籍。1992年に現役引退した。 同時期に南海に在籍していたチームメートの山内孝徳ともども口髭を生やしていた。 引退後は広島県福山市に居住し、マスターズリーグでも2002年から2003年と2年連続で最多勝のタイトルに輝いた。2008年現在は、同市にてビル管理会社経営〔の傍ら、中学生軟式野球クラブ「FUKUYAMA80」(福山エイティーズ)の代表兼監督として活躍している。 私生活では既婚で子があることを公表。このうち次女が2012年3月宝塚音楽学校を首席で卒業し芸名暁千星(あかつき・ちせい)で宝塚歌劇団98期生となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内和宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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