|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 正文 : [せいぶん] (n) the official text ・ 文 : [ぶん] 【名詞】 1. sentence
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。 ==経歴== 滋賀県出身。裁判官・秋山正義の息子として生まれる。膳所中学校卒を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同期に武藤章、富永恭次、佐藤幸徳、田中新一、山崎保代らがいる。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第60連隊付となる。 1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業(首席)。綾部橘樹、有末精三、斎藤義次、小畑信良らが同期。陸軍きっての逸材と評されたが,中学出身であるため傍流とみなされていた。1925年(大正14年)3月、歩兵第39連隊中隊長に就任。以後、参謀本部付勤務、参謀本部員、歩兵第33旅団司令部付、第10師団司令部付を歴任。 1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進し、同年11月からアメリカ駐在となり、1932年(昭和7年)、カンザス米陸軍大学校を卒業した。同年6月、歩兵第8連隊付となり、同年8月、歩兵中佐に進級。1933年(昭和8年)8月、陸大教官に就任。1934年(昭和9年)11月から翌年1月までフィリピンに出張。教育総監部課員を経て、1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し台湾軍参謀に就任。1937年(昭和12年)8月、兵科を航空兵科に転じ航空兵大佐となる。同年12月から翌年2月まで、第5軍参謀を兼務した。 1938年(昭和13年)4月、アメリカ大使館付武官となり、1939年(昭和14年)3月、陸軍少将に進級。同年12月、参謀本部付となる。日本軍きってのアメリカ通と言われた。1940年(昭和15年)3月、第36歩兵団長に就任。第12軍参謀長を経て、1941年(昭和16年)10月、陸軍中将に進み第1独立守備隊司令官となる。1942年(昭和17年)6月、第15師団長に親補され、インパール作戦に参戦。同作戦中、多くの将兵と同じように自らもマラリヤに罹患し、柳田元三と共に、上官である牟田口廉也に忌避され、1944年(昭和19年)6月10日、師団長を解任され参謀本部付となる。のち収容先のメイミョウの兵站病院で結核のため病没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内正文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|