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横浜市場駅(よこはましじょうえき)は、かつて神奈川県横浜市神奈川区山内町1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)の貨物駅。東高島駅から分岐していた東海道本線貨物支線の終点であった。電報略号は、ヨウ。 == 歴史 == 1931年(昭和6年)1月2日に高島駅分岐の専用線が横浜市中央卸売市場本場に引き込まれて使用開始されたことに始まる。この時点では、東高島駅は東神奈川駅と高島駅を結ぶ貨物支線上の駅で、高島線上の駅ではなかったため、高島駅分岐の扱いとされた。1934年(昭和9年)6月15日に、専用線を国鉄の貨物支線に変更して、終点を山内町駅(やまのうちちょうえき)とした。高島駅からは2.6 kmとされた。1944年(昭和19年)12月1日に横浜市場駅へ改称した。 第二次世界大戦後、日本に進駐した連合軍は横浜の臨港線を輸送の拠点として活用したが、当駅はその中でも傷病兵輸送列車が最初に出発した駅であった。また戦時中に既に横浜市場駅に改称されていたが、関係者は当時でも山内町と呼んでいたとされる。 1955年(昭和30年)1月17日、東高島駅の所属が高島線上に変更され、これに伴って当駅への貨物支線も東高島駅分岐という扱いになった。東高島駅からの営業キロは1.2 kmとされた。 1957年(昭和32年)12月には、拡張された青果部卸売場にも線路が敷設され、青果物の取扱が開始された。ただしこれは東高島駅分岐の専用線扱いとされていた。 1970年(昭和45年)8月には、それまで東京市場駅終着であった特急鮮魚貨物列車「とびうお」の編成の一部が新鶴見操車場で分割され、当駅にも到着するようになった。この列車は、高速運転対応冷蔵車のレサ10000形貨車を使用、九州・中国地方を発駅としていた。 しかし、トラックの普及や高速道路網の整備などのため取扱量が減少し、1982年(昭和57年)11月15日に、東高島駅分岐の専用線とともに廃止された。市場の改修がなされたためにホームは撤去されているが、ホームへ至る線路跡が自動車の通路として残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横浜市場駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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