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山内研二 : ミニ英和和英辞書
山内研二[やまうち けんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [に]
  1. (num) two 

山内研二 : ウィキペディア日本語版
山内研二[やまうち けんじ]

山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は中央競馬栗東トレーニングセンター所属の元騎手で現在は調教師宮崎県出身。
== 経歴 ==
大阪工業大学短期大学部を卒業〔「厩舎歩き50年 小堀孝二の「今昔談義」より」p134〕後、1970年に騎手候補生となった異色の経歴を持つ。太宰義人らとともに騎手では珍しい大学卒業者であった〔ただし、現在の競馬学校の入学規定は年齢の上限が20歳以下であるため、大学卒業者のデビューは事実上不可能となっている。〕。
短期騎手講習課程の1972年度第3期生として講習を受け〔「中央競馬騎手名鑑・昭和59年版」p556〕、1974年に騎手としてデビューした。騎手免許を取得した時点ですでに24歳であり、見習騎手の期間は同年12月22日までのわずかな期間であった。
デビュー当時は関東の松山吉三郎厩舎所属だったが、1975年6月5日付で関西の田中良平厩舎に所属を変更した。
15年間の騎手生活で61勝(うち重賞1勝)。その後、1987年に調教師免許を取得したが開業が遅れ、1989年にようやく開業する。初出走は同年3月4日阪神競馬第4競走のラガージャッカルで8着だった。初勝利は同年5月6日新潟競馬第6競走のマサミエイトで、のべ29頭目であった。2年目の1990年東京障害特別(秋)をシンクロトロンで制覇し重賞初制覇、さらに優秀調教師賞も受賞した。その後もコンスタントに勝利数を積み重ねていく。そしてダンツシアトル1995年宝塚記念を制覇し調教師としてGIを初制覇。さらに翌年イシノサンデー皐月賞も制した。このころから、牡牝ともにクラシック路線での活躍馬を多数送り出すようになる。早い段階での活躍馬が多いのは2歳時の夏に積極的に管理馬を出走させるためである。
2000年チアズグレイス桜花賞に勝利する。同馬は同世代の勝ち上がり第1号でもあったため、山内の手腕が存分に発揮された馬でもある。この桜花賞は同じく管理していたシルクプリマドンナが3着、サニーサイドアップが5着に入り管理馬が掲示板5頭中3頭を占めた。続く優駿牝馬で、今度はシルクプリマドンナが勝利し、さらに2着に桜花賞優勝馬のチアズグレイスが入り、1、2着を管理馬で占めた。
2002年にはダンツフレームで宝塚記念を制覇。6月15日から8月11日まで当時JRAの新記録となる9週連続勝利を達成する。
2006年にはコンゴウリキシオー金鯱賞を制し、史上2人目となるJRA全10競馬場重賞勝利を達成。
その後もクラシック路線を中心に多数の活躍馬を送り出している。手腕は前述のとおりで、2006年までに10回優秀調教師賞を受賞している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山内研二」の詳細全文を読む




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