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山内 禎子(やまうち さちこ、1885年(明治18年)6月27日 - 1966年(昭和41年)2月9日)は、日本の元皇族である。侯爵山内豊景夫人。伏見宮貞愛親王の長女で、旧名は禎子女王。母は家女房の增山奈越子。 == 経歴 == 1893年(明治26年)、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の妃に内定する。しかし、1899年(明治32年)、肺病の疑いありとて、皇太子妃内定の内約が解かれた。1901年(明治34年)、山内豊景と結婚。ともに妃候補で大正天皇妃となった貞明皇后との親交は絶えることなく続いたという。 1942年(昭和17年)に大日本婦人会が政府指導の下で設立され、会長職についた〔国立国会図書館「資料に見る日本の近代 開国から講和まで100年の軌跡」大日本婦人会概況 〕。大日本婦人会は同年、大政翼賛会の傘下に統合される。 直心影流薙刀術の使い手であり、1930年(昭和5年)、宮中済寧館台覧試合で園部秀雄と共に薙刀の形を演武した。1955年(昭和30年)には全日本薙刀連盟の初代会長となった〔全日本なぎなた連盟サイト 〕。1983年(昭和58年)、故人として高知県スポーツの殿堂に入る〔高知県スポーツの殿堂入り名簿 高知県庁ホームページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内禎子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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