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山内 義文(やまうち よしふみ、1893年(明治26年)7月〔『人事興信録』第14版 下、ヤ55頁。〕 - 1945年(昭和20年)1月19日〔「故陸軍司政長官山内義文位階追陞の件」〕)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。陸軍司政長官。旧姓・伊藤〔〔。 ==経歴== 三重県出身〔。伊藤茂右衛門の四男として生まれ、山内家(本籍:愛知県)の養子となる〔。第八高等学校を卒業〔。1918年7月、京都帝国大学法科大学政治経済学科を卒業〔『京都帝国大学一覧 自大正七年 至大正八年』339頁。〕。1919年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1920年、内務省に入省し警保局嘱託となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』223頁。〕。 以後、高知県警部・警務課長、神奈川県警視・監察官、福井県警視・特別高等課長、山口県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、高知県書記官・総務部長、鹿児島県書記官・総務部長、静岡県書記官・総務部長などを歴任〔『新編日本の歴代知事』1026頁。〕。 1940年4月9日、岩手県知事に就任。戦時体制の整備に尽力〔『新編日本の歴代知事』129頁。〕。1942年6月15日、長崎県知事に転任。戦時緊縮財政を継続した〔。 1944年8月1日、陸軍司政長官に発令され〔『官報』第5265号、昭和19年8月2日。〕、香港占領地総督部総務長官に就任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』142頁。ただし同書では「山内義次」と表記している。〕。在任中の1945年1月19日、「南支那方面ニ於テ戦死」した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内義文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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