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山内英夫 : ミニ英和和英辞書
山内英夫[やまうち やまのうち さんない]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

山内英夫 ( リダイレクト:里見とん ) : ウィキペディア日本語版
里見とん[さとみ とん]

里見 弴(さとみ とん、1888年明治21年)7月14日 - 1983年昭和58年)1月21日)は、日本の小説家。本名は山内英夫(やまのうち ひでお)といった。
== 来歴 ==
1888年明治21年)、有島武と妻幸子の四男として神奈川県横浜市に生まれる。生まれる直前に母方の叔父の山内英郎が死去したため、出生直後にその養子となり山内英夫となったが、有島家の実父母の元で他の兄弟と同様に育てられた〔。
1900年(明治33年)に旧制学習院中等科へと進み、この頃から泉鏡花の作品に慣れ親しむ〔。同高等科を経て東京帝国大学文学部英文科へと進むが、程なくして同校を退校し、バーナード・リーチエッチングを教わる〔。1910年(明治43年)4月、志賀直哉武者小路実篤らが創刊した雑誌『白樺』に2人の兄と共に同人として参加した〔。ペンネームの里見は、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったとしている。
志賀の手引きで吉原などで遊蕩し、父母の許しの強要の末、大阪の芸妓・山中まさと結婚した〔。その経歴が『今年竹』『多情仏心』などの代表作に現れている。
志賀の『暗夜行路』冒頭に出てくる友人・阪口は、弴がモデルである。1914年大正3年)には、志賀とともに松江で暮らし、このことを志賀は『暗夜行路』に、弴は『今年竹』に生かしている。
1915年(大正4年)、『晩い初恋』を中央公論に掲載して本格的に文壇デビュー、翌年同誌に『善心悪心』を発表、弴の初期の代表作とされ同年、同名の短編集を刊行、祖母・静子に献じる。
1917年(大正6年)、『新小説』に『銀二郎の片腕』を発表する。
1919年(大正8年)、時事新報に『今年竹』を連載するが中絶、のち完成させる。この年、吉井勇久米正雄らと雑誌『人間』を創刊した〔。1920年(大正9年)、『桐畑』を國民新聞に連載する。1922年(大正11年)から翌年大晦日まで、『多情仏心』を時事新報に連載した。同年、兄・武郎の心中事件があり、弴は「兄貴はあんまり女を知らないからあんなことで死んだんだ」と言ったという。
1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで、武郎の心中事件を中心とした長編『安城家の兄弟』を3部に分けて発表する。1932年(昭和7年)より6年間、明治大学文芸科教授を務めた。1940年(昭和15年)、菊池寛賞(戦前のもの)を受賞した〔。
1945年(昭和20年)、川端康成らと鎌倉文庫創設に参加、1947年(昭和22年)、日本芸術院会員となる〔。1952年(昭和27年)、『道元禅師の話』を連載、1954年(昭和29年)、十五代目市村羽左衛門の出生の秘密に触れた『羽左衛門伝説』を毎日新聞に連載した。1956年(昭和31年)、短編集『恋ごころ』で読売文学賞を受賞する〔。
永く鎌倉に住み、鎌倉文士のはじまりとされることもある。その縁で戦後は大船の撮影所にもよく出入りし、小津安二郎監督とも親しく小津と組んでいくつかの映画の製作にもかかわった。1958年(昭和33年)の『彼岸花』は小津と野田高梧の依頼を受け、映画化のために書き下ろしたものである。四男の山内静夫は、松竹の映画制作者でもある。
弴は舞台への造詣も深く、その縁から歌舞伎、新派、文学座など、原作や戯曲も多く提供し、また演出も行った。代表作に花柳章太郎の当たり役(花柳十種のひとつに選ばれている)となった『鶴亀』(脚色:久保田万太郎)などがある。
1959年(昭和34年)、文化勲章を受章する〔。1960年(昭和35年)、『秋日和』を発表、1961年(昭和36年)に『極楽とんぼ』、1971年(昭和46年)に『五代の民』で2回目となる読売文学賞を受賞した〔。
1983年(昭和58年)1月21日に神奈川県鎌倉市で亡くなったが〔、二十四節気大寒にあたる命日は「大寒忌」と呼ばれている(文学忌)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「里見とん」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ton Satomi 」があります。




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