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山内豊敷 : ミニ英和和英辞書
山内豊敷[やまうち とよのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

山内豊敷 : ウィキペディア日本語版
山内豊敷[やまうち とよのぶ]

山内 豊敷(やまうち とよのぶ)は、土佐藩の第8代藩主。
== 生涯 ==
正徳2年(1712年)6月8日、土佐藩家老深尾家の分家で、山内姓を与えられていた山内規重の長男として生まれる。豊敷の父・規重は、第2代藩主・山内忠義の弟で深尾家に養子入りした深尾重昌の子孫で、山内氏の一族の中でも人望があり、家老として藩主を補佐していた人物でもあった。その規重が享保6年(1721年)に死去し、やがて義兄で第7代藩主・山内豊常が享保10年(1725年)に子女を残さないまま早世したため、豊常の妹・長姫の夫で義弟の豊敷が豊常の養子となって跡を継いだ。
しかし藩政においては、享保12年(1727年)の高知城焼失、享保17年(1732年)の害虫による凶作、享保18年(1733年)には前年の凶作による飢餓などに苦しめられ、幕府から1万5000両を借り受け、藩財政再建を目指して藩政改革を断行する。行政整理や風俗の徹底、製鉄業の奨励、藩士からの半知借上、宝暦2年(1752年)には国産方役所を設置して製紙業の専売化をはかるなどしている。しかし専売化に反対する中平善之進らによる一揆が起こり、一揆側の要求を受け入れて宝暦10年(1760年)に役所を一時的に廃止するなど、藩政改革は失敗に終わった。
宝暦9年(1759年)には藩校教授館を創設し、文武を奨励する。さらに目安箱を設置して広く意見を求めるなどしたが、効果は無かった。明和4年(1767年)11月19日に死去。享年56。
跡を四男・豊雍が継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山内豊敷」の詳細全文を読む




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