|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband
山口 冨士夫(やまぐち ふじお、1949年8月10日 - 2013年8月14日)は、日本のロックミュージシャン。 == 来歴 == * 1949年、日本人の母と、イギリス人の父の間に生まれる。しかし幼少時は孤児院で育った。 * 1965年、先輩の瀬川洋、幼馴染みの吉田博らと「ザ・モンスターズ」を結成。 * 1967年、「ザ・ダイナマイツ」に改名し、ギタリストとしてデビュー。リードボーカルを務めたデビュー曲『トンネル天国』はスマッシュヒット。グループ・サウンズ・ブームの中で人気を博すも、1969年大晦日のステージで解散した。 * 1970年代初頭、京都に移住し、盟友・チャー坊(柴田和志)と共に伝説のバンド村八分を結成。日本のロックバンドのパイオニアとして独自なスタイルを築く。 過激な歌詞、客に媚びないステージは後のパンク・ロックにも通じた。 * 1973年5月、京都大学西部講堂にて伝説のラストライブを行い、このライブを収録した活動中唯一の正式音源『ライヴ』をリリース。バンドは同年8月に解散したが、このアルバムにより彼らの噂は全国的なものへ広がって行った。 * 1974年、初のソロアルバム『ひまつぶし』をリリース。発売から10日後、名古屋市公会堂で行われたお披露目ライブは3曲のみ演奏し唐突にステージを去って客は唖然となった。 * 1975年、ルイズルイス加部らと「リゾート」を結成。 * 1979年、「村八分」を再結成。京都大学西部講堂で再結成ライブを行うも、再び自然消滅。 * 1980年、「裸のラリーズ」に参加するも、翌1981年 には脱退するなど、断続的な活動が続いた。 * 1983年、『ひまつぶし』以来の作品となる20cmEP『RIDE ON!』をリリース。 * 1980年代中頃からは、「山口冨士夫グループ」→「タンブリングス」としてライブ活動を行う。 * 1986年、シーナ&ザ・ロケッツのアルバム『ギャザード』にギタリストとして全面的に参加。それに伴うツアーにも同行。また同年にアコースティック・アルバム『PRIVATE CASSETE』をカセット・テープのみでリリース。 * 1987年、タンブリングス時代のライブを収録したアルバム『Like a rolling stone』をリリースした後、元村八分の青木真一、フールズの中島一徳、佐瀬浩平と「ティアドロップス」を結成。シングル『いきなりサンシャイン』でデビュー。 * 1988年、1st.アルバム『TEARDROPS』をリリース。また、忌野清志郎との交流からアルバム『COVERS』のレコーディングに参加。またこの頃、どんととの交流からボ・ガンボスのライブに頻繁にゲスト参加した。 * 1989年 、2nd.アルバム『らくガキ』で東芝EMIよりメジャー・デビュー。また、忌野清志郎との共演シングル『谷間のうた』をリリース。FM東京などで放送禁止となり、忌野率いるタイマーズが「ヒットスタジオR&N」出演中に罵倒する一因となった。 * 1990年、サンフランシスコでレコーディングした3rd.アルバム『MIXIN’LOVE』をリリース。また、自らの半生を語った自叙伝『So What 山口冨士夫』を刊行。(しばらくの間、入手困難の希少本としてプレミアがつくが2008年に改訂新装版で復刻。) * 1991年、4th.アルバム『LOOK AROUND』をリリースした後、「ティアドロップス」は活動停止。 * 1992年、ソロアルバム『ATMOSPHERE-I』『ATMOSPHERE-II』を2枚同時にリリース。 * 1994年、「村八分」時代の盟友、ボーカルの「チャー坊」こと柴田和志がドラッグのオーバードースにより死去。 * 2000年以降、ソロやスリーピース編成などでライブハウスを中心に活動。 * 2005年に刊行された村八分時代の回顧録『村八分』はバンドのこと、村八分でのお金の問題、自らのドラッグ遍歴まで赤裸々に語り話題になった。 * 2007年に体調を崩して一切の活動を停止していたが、2008年11月、古巣のライブハウス原宿クロコダイル でライブ活動を再開。 * 数年はリハビリも兼ねた断続的なライブ活動であったが、その後、新たなバンドスタイルで若者のロックイベントなどにも参加し貫禄のステージをみせていた。 * 2013年7月14日、東京都福生市の福生駅前のタクシー乗り場で、アメリカ人の男が別の男を一方的に殴る現場に遭遇し、止めに入ったところ突き飛ばされて後頭部を打った〔山口冨士夫さん死去:暴行止めに入り脳挫傷に 「村八分」のメンバー 毎日新聞 2013年8月17日〕。それにより急性硬膜下血腫を起こし、都内の病院に入院していたが、8月14日に脳挫傷のため死去〔「村八分」の山口冨士夫さん死去 路上で突き飛ばされる 朝日新聞 2013年8月15日〕〔「村八分」ギタリスト山口冨士夫さんが死去 1カ月前に突き飛ばされ頭部強打 MSN産経ニュース 2013年8月16日〕。64歳没。8月15日、元ザ・ダイナマイツの吉田博によって死去が報告された〔Fujio Yamaguchi blog 2013年8月15日午前8時48分のダイナマイツ吉田のコメントより 〕。なお、アメリカ人の男は7月20日に傷害罪で逮捕され、8月9日に起訴された〔死去の山口冨士夫さん、突き飛ばされていた 読売新聞 2013年8月16日〕。 * 2014年8月、晩年のライブ等を記録したドキュメンタリー映画「山口冨士夫/皆殺しのバラード」(川口潤監督)が公開された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口冨士夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|