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山口 剛玄(やまぐち ごうげん、1909年1月21日 - 1989年5月20日)は、日本の空手家。全日本空手道剛柔会の創始者。 ==経歴== 鹿児島県鹿児島市出身。幼少時より薩摩示現流や柔術等の武道を嗜む。14歳から沖縄県出身の丸田武雄より空手を習い始める。 1928年に関西大学に入学するも翌29年に退学。同年立命館大学専門部法科に入学すると、唐手術研究会(のち空手道部に)を創設する傍ら、剛柔流の開祖・宮城長順に師事する。 1937年に、それまでの「唐手術」が「空手道」として大日本武徳会より認可されると、初代師範の任を受ける。またこの頃に宮城長順より“剛玄”の名を拝命し、本土における空手道普及の命を受けている。 1939年、石原莞爾の特務により満州へ渡ると、同年には東亜武道大会の満州代表使節団長も勤めた。2年後には大日本武徳会より錬士号を受ける。 1945年、終戦によりシベリアで収容(シベリア抑留)。 帰国後は台東区浅草に道場を開設すると、宮城長順を名誉会長とする全日本空手道剛柔会を創設した。1951年、宮城より、十段範士の号を授与される。以降も墨田区、文京区やアメリカ・サンフランシスコに道場を開き、1963年には剛柔会全日本空手道選手権を開催。64年に全日本空手道連盟が結成されると、審議委員・元老に就任した。翌65年には、国際空手道剛柔流(IKGA)を結成し会長を務める。 日本国内はおろかアメリカ、東南アジア、オーストラリア等の海外でも精力的に後進の指導に当たり、1969年には藍綬褒章を受章。海外では、その猫のような身のこなしから、"THE CAT"とも呼ばれた。 1989年5月22日、急性心不全のため逝去。後に全日本空手道剛柔会より、"拳聖"の称号が追贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口剛玄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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