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山口 圭蔵(やまぐち けいぞう、1861年11月3日(文久元年10月1日) – 1932年(昭和7年)6月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将〔『日本陸軍将官総覧』207項〕、従四位勲二等功四級〔『陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿』 (明治45年7月1日調) 10コマに記載。〕。京都府出身〔。 ==人物 == 1879年(明治12年)陸軍士官学校(旧3期)を卒業し陸軍少尉任官。のち陸軍大学校(1期)を卒業し、1888年から1891年まで東條英教、井口省吾とドイツ留学。帰国後は参謀本部第2局局員や軍医学校教官を経て歩兵第21連隊第2大隊長として日清戦争に参加。1897年(明治30年)陸軍歩兵大佐に昇進。同日付けで陸軍戸山学校 校長 兼 監軍部御用掛となる。以後、第11師団参謀長などを勤め、1902年(明治35年)陸軍少将に進み、第7代歩兵第5旅団長に補された。しかし日露戦争遠征中の1904年(明治37年)7月に南部辰丙が代わって同旅団長代理となり、翌1905年(明治38年)1月14日 に旅団長を正式に免職にされて休職扱いとなる。1907年(明治40年)予備役編入となる。退役に伴って従四位に叙された。 娘の千代子は西郷従道の7男・小松従志に嫁ぐ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口圭蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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