翻訳と辞書
Words near each other
・ 山口放送下関ラジオ中継局
・ 山口放送大津島ラジオ送信所
・ 山口放送山口ラジオ中継局
・ 山口政二
・ 山口政信
・ 山口敏太郎
・ 山口敏太郎タートルカンパニー
・ 山口敏夫
・ 山口敏弘
・ 山口敏雄
山口教吉
・ 山口教幸
・ 山口教授の"ホントの経済"
・ 山口教授のホントの経済
・ 山口教継
・ 山口敦史
・ 山口敦子
・ 山口敬之
・ 山口文一
・ 山口文一 (軍人)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山口教吉 : ミニ英和和英辞書
山口教吉[やまぐち のりよし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

山口教吉 : ウィキペディア日本語版
山口教吉[やまぐち のりよし]
山口 教吉(やまぐち のりよし、生年不明 - 永禄3年(1560年?))は、戦国時代武将尾張織田氏の家臣。後に今川氏の家臣となる。通称は九郎次郎(九郎二郎)。父は山口教継
織田信秀が死亡して信長がその後を継ぐと、鳴海城主であった父とともに今川義元に寝返る。教継は鳴海城を教吉にまかせ、自らは桜中村城に立て篭もった。天文22年4月17日1553年5月29日)、19歳の信長は約800の軍勢を率いて鳴海に攻め込むが、鳴海の北にある小鳴海の「三の山」(現在の鳴海町にある山王山)で、そこより東の赤塚(現在の鳴海町赤塚)に教吉が約1,500の軍勢を進めているのを発見する。これに気付いた信長は赤塚に向かって攻撃を開始、戦闘となった。しかし勝敗はつかず結局、互いの捕虜や捕らえた馬を交換して双方は引き上げた(赤塚の戦い)〔太田牛一信長公記』 「三の山赤塚合戦の事」〕。
その後、教継が調略をもって大高城沓掛城を乗っ取り、鳴海城には義元家臣の岡部元信が城代として立て篭もった。それから程なく教吉は教継と供に駿河へ呼び出され、義元の命により父子ともども切腹を強いられ果てた〔太田牛一 『信長公記』 「おどり御張行の事」〕。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山口教吉」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.