|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening
山口 昌紀(やまぐち まさのり、1936年(昭和11年)2月11日 - )は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)・近鉄百貨店・近畿日本ツーリストの代表取締役会長で近鉄の前社長(大阪電気軌道創立から14代目)、大阪商工会議所の常議員である。 ==来歴・人物== 奈良県奈良市生まれ・在住。奈良女子大付属高校・京都大学法学部を卒業して1958年に近鉄入社。1991年に取締役に就任(秘書室長)。以後、1993年に常務、1997年に専務、1999年に辻井昭雄社長就任とともに副社長(経営企画・流通部門担任)となった。 2003年6月の株主総会後の取締役会で、社長に就任した(辻井前社長は会長に就任)。 辻井社長時代に始まった、グループの再建を継承するとともに、赤字のレジャー部門を立て直すため、就任直後に近鉄あやめ池遊園地の閉鎖を決定した。また、大阪近鉄バファローズの経営再建が難しいと判断し、球団をオリックス・ブルーウェーブと合併することを2004年6月13日に発表し、プロ野球再編の主役となった。 だが、球団合併による再編は球団数の削減さらには1リーグ制へと進むことにつながるとして、多くのプロ野球ファンから反発を受けた。しかし、球団合併については、政財界の重鎮であるオリックス・宮内義彦オーナーの強い提案によるもので、辻井前社長時代に続いた赤字状態からの脱却、特にレジャー部門の黒字化という一定の成果を残している。 近鉄グループの整理縮小が一段落した2006年からは、今度は逆に、収益が見込まれる区域にある伊勢志摩地区などの強化に乗り出す。 2007年6月28日の株主総会後をもって、会長に就任。後任には専務で近鉄球団解散時の球団社長であった小林哲也が就いた。 近鉄関連以外ではラジオ大阪の番組審議会委員も務めた(既に退任)。また、2007年6月より朝日放送取締役を務めるほか、歴史街道推進協議会の会長、文楽協会理事長も務める。 また、1996年に鉄道業界のトップでは珍しく神職の資格を取得しており()、大阪府神社総代会の副会長にもなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口昌紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|