翻訳と辞書
Words near each other
・ 山口範蔵
・ 山口範藏
・ 山口篤
・ 山口篤史
・ 山口簡易裁判所
・ 山口粧太
・ 山口純
・ 山口紗弥加
・ 山口素堂
・ 山口素弘
山口素絢
・ 山口素臣
・ 山口組
・ 山口組と北海道同行会の抗争事件
・ 山口組と松本組の抗争事件
・ 山口組と西梅組の抗争事件
・ 山口組と西海組の抗争事件
・ 山口組と谷崎組の抗争事件
・ 山口組三代目
・ 山口組三代目 (映画)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山口素絢 : ミニ英和和英辞書
山口素絢[やまぐち そけん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

山口素絢 : ウィキペディア日本語版
山口素絢[やまぐち そけん]
山口 素絢(やまぐち そけん、宝暦9年(1759年) - 文政元年10月24日1818年11月22日))は、江戸時代中期から後期の円山派絵師円山応挙の弟子で、応門十哲の一人。
== 来歴 ==
姓は橘、通称は貫次郎、武次郎。山斎と号す。字は伯陵、後に伯後。京都で、呉服商の次男として生まれる。祖父は俳人山口羅人〔『倭人物画譜』に寄せられた秋里籬島の序文より。〕。円山応挙に絵を学び、祇園の袋町に住んでいた。『倭人物画譜』前編(寛政11年(1799年刊))三冊をはじめ、同年刊の『素絢画譜』六冊、『倭人物画譜』後編(文化元年(1804年)刊)三冊、『素絢画譜草花之部』(文化3年1806年刊)三冊、『素絢山水画譜』(文化15年(1818年)刊)ニ冊などを出版し、円山派画風の普及に努めた。一方で、寛政8年(1796年)には弟子仲間の渡辺南岳と共に、洒落本『養漢(おとこてかけ)裸百貫』の挿絵を描いている。文化元年(1804年)刊行の医学書『蘭寮方』では器物などの挿絵を担当。同書は、オランダの医学書の翻訳だが、その末尾は素絢の「紅毛の絵には『一体』があり、自分が学んだものとは趣が異なる」などと述べられている〔古典籍総合データベース 蘭療方 〕。文政元年(1818年)10月24日死去。享年60。墓は、京都三条の檀王法林寺。息子の山口素岳も絵師となった。
遺存作品は、比較的多い。優美な雰囲気を持つ日本風俗の美人画を得意としており、唐美人画を良くした兄弟子・駒井源琦と並び称された。素絢は往時の上方における時様風俗画を多く描いており、「遊女雪見図」や「遊女図屏風」などは浮世絵に近い内容を持つ点で注目される。一方、花鳥画にも佳品を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山口素絢」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.