|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening ・ 口重 : [くちおも] 1. (adj-na,n) slow of speech 2. prudent ・ 重 : [おも] 1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important ・ 幸 : [さち] 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune
山口 重幸(やまぐち しげゆき、1966年6月24日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 春、岩倉高校がセンバツ大会(第56回)で優勝した時のエースピッチャー。チームメイトに日本ハムファイターズで活躍した森範行がいる。準々決勝では吉田剛の取手第二高校、決勝では当時新2年生だった桑田真澄・清原和博のPL学園高校といった、並み居る強豪を倒し優勝を飾った。しかし同1984年夏の選手権大会(第66回)は東東京代表予選で敗退し、春夏連続の甲子園出場はならなかった(同1984年夏選手権大会の優勝は取手二・準優勝がPL学園だった)。 同年のドラフト6位で阪神タイガースに入団。プロ入り後に内野手に転向し、主に守備固めで起用された。1軍として初出場した1988年は掛布雅之の離脱に伴い三塁手としてスタメン出場していた。 に阪神を自由契約になり、テストを受けヤクルトスワローズに移籍。当時の野村克也監督が嫌っていた甲子園優勝投手でいながら、真摯に取り組む姿勢が買われ面談のみで入団が決まる。移籍1年目のは、三塁守備に不安のあるヘンスリー・ミューレンが下がった後の守備固めなどで自己最多の77試合に出場し、同年のリーグ優勝と日本一に貢献した。1996年も62試合に出場するが、宮本慎也の遊撃手定着に伴う池山隆寛の三塁手コンバートにより同年限りで戦力外通告を受け現役引退。翌1997年から野村監督の要望でヤクルトの打撃投手に転向した(2000年からはスコアラー兼任)。プロで投手経験がないのに打撃投手になった珍しい選手である。2007年8月、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)で、その歩みが取り上げられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口重幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|