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山名 勝豊(やまな かつとよ)は室町時代の武将。山名氏の一族で因幡山名氏当主。山名宗全の3男で山名熙貴の養子となった(異説あり)。「勝」の字は7代将軍足利義勝より偏諱を賜ったものと思われる。 勝豊の代に本拠を二上山城から布勢天神山城へ移したという。天神山城は勝豊が築城したとされる城(但し伝えられる築城年には勝豊は既に没していたという指摘がある)で、以後百年間にわたって因幡山名氏の居城となった。 しかしながら、実際の業績や活動については一次史料など確実な史料での裏付けが乏しく、謎の多い人物である。加えて、文安元年(1444年)12月頃までは山名熙高が守護職に在任していたことが判明している。また、『経覚私要鈔』によれば享禄2年(1453年)11月、因幡守護の座を巡る家督争いで熈高の子熙成、熙幸兄弟が対立、兄の熙成が追放されたことが記されている。 『碧山日録』長禄3年4月15日条には、前日の14日に「山名氏因州太守某」が死去し、火葬されたとする記述があり、勝豊を指しているとされる。しかし、この説も定かではなく、この人物を「山名上総三郎」(熙幸のことか)なる人物に比定する説が現在有力になっている。 この他にも『応仁記』にみえる「布施左衛門佐」についても従来では勝豊を指すものとされていたが、同時に「山名相模守(教之)の一族」であると記していることから、現在では伯耆山名氏出身の山名豊氏を指していると考えられている(参考・『新編岩美町誌 上巻』)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山名勝豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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