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山名豊暄 : ミニ英和和英辞書
山名豊暄[やまな とよのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

山名豊暄 : ウィキペディア日本語版
山名豊暄[やまな とよのぶ]

山名 豊暄(やまな とよのぶ)は、江戸時代交代寄合但馬国村岡領主。
== 経歴 ==
山名豊就の子。延享元年(1744年)、父の死去により、家督を継ぐ。
正室は下野喜連川藩藩主 喜連川茂氏の娘。
寛延3年(1750年)の須原屋版武鑑に「七千石 但州志津見 てつほうす 山名主殿」とある。〔「大武鑑・中巻」。なお、同書には延享3年の武鑑の内容も掲載されているが、山名豊就が生存中の時と内容の更新がないので省略。なお延享3年の武鑑の内容は「七千石 但州志津見 てつほうす 山名因幡守 当時寺社御奉行」で元文6年のものと同じ〕
明和2年(1765年)4月、実子の栄之丞が早世していたため、柳川藩主・立花鑑通の弟である立花致知(靱負、立花貞俶の八男)を婿養子とする。〔「立花貞俶の八男の貞俊を婿養子とし、義徳と名乗らせ家督を継がせた(翌年5月入部)」とするものもあるが、少なくとも「柳川市別冊・図説立花家記」、「旧柳川藩志・上巻」、「寛政重修諸家譜」のいずれにも山名義徳が柳川藩立花家にいた頃に「立花貞俊」と称した旨の記述は見られない。山名家側史料にある可能性がなくはないので脚注とす。〕。致知は山名家に入って豊貴、後に義徳に改名。
明和6年(1769年)、死去。享年56。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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