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山名 豊暄(やまな とよのぶ)は、江戸時代の交代寄合。但馬国村岡領主。 == 経歴 == 山名豊就の子。延享元年(1744年)、父の死去により、家督を継ぐ。 正室は下野喜連川藩藩主 喜連川茂氏の娘。 寛延3年(1750年)の須原屋版武鑑に「七千石 但州志津見 てつほうす 山名主殿」とある。〔「大武鑑・中巻」。なお、同書には延享3年の武鑑の内容も掲載されているが、山名豊就が生存中の時と内容の更新がないので省略。なお延享3年の武鑑の内容は「七千石 但州志津見 てつほうす 山名因幡守 当時寺社御奉行」で元文6年のものと同じ〕 明和2年(1765年)4月、実子の栄之丞が早世していたため、柳川藩主・立花鑑通の弟である立花致知(靱負、立花貞俶の八男)を婿養子とする。〔「立花貞俶の八男の貞俊を婿養子とし、義徳と名乗らせ家督を継がせた(翌年5月入部)」とするものもあるが、少なくとも「柳川市別冊・図説立花家記」、「旧柳川藩志・上巻」、「寛政重修諸家譜」のいずれにも山名義徳が柳川藩立花家にいた頃に「立花貞俊」と称した旨の記述は見られない。山名家側史料にある可能性がなくはないので脚注とす。〕。致知は山名家に入って豊貴、後に義徳に改名。 明和6年(1769年)、死去。享年56。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山名豊暄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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