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山城長岡藩 : ミニ英和和英辞書
山城長岡藩[やまじろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山城 : [やまじろ]
 (n) mountain castle
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

山城長岡藩 ( リダイレクト:高槻藩#長岡藩 (山城国) ) : ウィキペディア日本語版
高槻藩[たかつきはん]
高槻藩(たかつきはん)は、摂津国に存在したの一つ。藩庁は高槻城(現在の大阪府高槻市)。本項目では関係のある山城長岡藩についても記述する。
== 概要 ==
高槻は戦国時代織田信長豊臣秀吉に仕えた高山右近が治めていた。、キリシタン大名としても有名な右近は、秀吉の宣教師追放令で大名の地位を追われ、その後に新庄直頼が3万石で高槻に入ったが、1600年関ヶ原の戦い改易され、その身柄は蒲生秀行に預けられた。
元和元年(1615年)に内藤信正近江国長浜より4万石で入り、高槻藩が立藩した。信正は高槻城を改修し、本丸・二の丸を建設した。元和3年(1617年)に山城国伏見城代となる。下総国守谷より土岐定義が2万石で入るが、定義は元和5年(1619年)死去する。子の頼行は幼少のため、減封により旗本に降格となり、下総国守谷に再び移封となった。三河国形原より松平家信が2万石で入るが、寛永12年(1635年)下総佐倉藩へ移封となる。播磨国龍野藩より岡部宣勝が5万1000石で入ったが、寛永17年(1640年和泉岸和田藩へ移封となる。下総佐倉藩より家信の次男・松平康信が3万6000石で入るが、慶安2年(1649年)に丹波篠山藩へ移封と、藩主が短期間で相次いで変わり、藩主家の交替が相次いだ。
その後、山城長岡藩より永井直清が3万6000石で入ってようやく藩主が定着し、永井氏13代の支配を経て明治時代を迎えた。
明治4年(1871年)に廃藩置県により高槻県となり、のち大阪府に編入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高槻藩」の詳細全文を読む




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