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山岳アルメニア共和国(さんがくアルメニアきょうわこく、、またはシュニク共和国())は、1921年に南コーカサスに存在した短命の国家である。 == 前史 == 1920年9月24日、アルメニア第一共和国とムスタファ・ケマル率いるトルコ大国民議会(アンカラ政府)の間でが開始された。アルメニア軍は、、カルス、アレクサンドロポリなどでトルコ軍と交戦し惨敗。11月18日に戦争は休戦し、12月2日に結ばれたによって両政府は和解した。 11月29日、はアルメニアに侵攻を開始。12月2日にエレバンでロシア社会主義連邦ソビエト共和国全権のボリス・レグラン (ru) の最後通牒を受け入れ、アルメニアは共産主義勢力に権力を委譲した。アルメニアはソビエト連邦構成共和国となることに同意したが、見返りとしてロシアはトルコからアルメニアの領土を守ることを約束した。また、ロシアは非共産主義者の迫害のためでなくアルメニア人の防衛のために軍を再編すると誓ったが、ダシナク党が国外追放された時点でこの約束は反故にされた。 さらに、ロシアはアルメニアの山岳アルツァフとシュニクをアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国へ割譲することを提案した。これを強く拒否したダシナク党のは、12月にシュニクの自治を宣言した。1921年1月に党員仲間のはヌジュデに電報を送り、アルメニアの領土問題を解決するためにソ連と手を結ぶことを提案した。しかし先見の明があったヌジュデはシュニクを離れず、赤軍との戦いを続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山岳アルメニア共和国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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