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山崎まさよし : ミニ英和和英辞書
山崎まさよし[やまざき まさよし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)

山崎まさよし : ウィキペディア日本語版
山崎まさよし[やまざき まさよし]

山崎 まさよし(やまざき まさよし、本名:山崎 将義、1971年12月23日 - )は、日本シンガーソングライター〔〔、俳優〔〔。愛称は「まさやん」〔。
身長176cm〔〔、体重64kg〔「別冊カドカワ 総力特集 山崎まさよし」(SBN978-4-04-895413-6、2010年10月)P.23〕、A型〔〔、滋賀県大津市出身〔、山口県防府市育ち〔。
ライブでの基本はギター。レコーディングではマルチプレイヤーであり、作品(楽曲『未完成』など)によっては全ての楽器をこなしている。既婚〔2010年3月吉日に婚姻したことを、ファンクラブ「BOOGIE HOUSE」の会員サイト上で報告した。〕。
== 経歴 ==

=== デビュー前 ===
滋賀県大津市で生まれ、小学校3年の手前まで草津市で暮らす。8歳の時に山口県防府市に移る。引っ越し先で友達ができていくきっかけが地元の太鼓の練習であり、中学になると本格的に音楽活動を始める。当時はドラマーであり、多くのバンドを掛け持ちする人気ドラマーだった〔NHKSONGS』(2013年7月20日放送)〕。
山口県立防府西高等学校卒業後、しばらく厨房で働いた後、1990年頃から日中は中関港マツダ防府工場で、船内の自動車をベルトで固定する荷役の労働に従事して、夜は周南市にあるライブハウスBoogie House」でライブ活動をするという日々を1年半過ごした〔〔「山崎まさよし」(幻冬舎刊、1998年12月)〕。この「BoogieHouse」に出演交渉に行った際、「ライブをやりたいけど、どういうスタイルでやればいいのか分からない」と悩んでいた山崎だったが、マスターの森永正志(2012年食道ガンで逝去)は「ブルースはどうか」と、カセットテープにライトニン・ホプキンスを吹き込み手渡した。山崎はカセットを聞き非常に感銘を受け、ギターの弾き語りと作詞・作曲、いわゆるシンガーソングライターとしての活動を本格的に始めるようになった〔〔「BREaTH特別号 山崎まさよし」(ソニー・マガジンズ刊、2001年1月)P.50〕。その後も森永との師弟関係は続き、後に山崎は公式ファンクラブを立ち上げることになった際に、このライブハウスの名前から「BOOGIE HOUSE」と名付けている。
1991年、レコード会社「キティ・レコード」と映画製作会社「キティ・フィルム」を混同し、キティ・フィルム主催のアクター・オーディションを受けてしまうというミスをやらかす。同オーディションは応募者が1000人以上という規模の大きいものであったが、俳優のオーディションだと山崎が気づいたのは、同年7月に行われた東京での最終審査の直前であったという。最終審査の場で、山崎は自作の歌「Rough Rock'n Roll Boogie」「中華料理」〔〔『THE M』(2008年7月22日放送)の再現VTRでは、審査員のひとりから「せっかくだから歌ってみたら?」と誘われる形になっている。〕を歌い、「新人歌手のオーディションだったら間違いなく合格」という評価を受けるものの、歌手のオーディションではなかったため、審査員特別賞に終わった。しかし、「歌える役者が欲しい」という目的で審査員をしていたキティ・レコードの音楽プロデューサーに見いだされ、1993年春にキティ・レコードと契約・上京することが内定。山崎は帰郷後デモテープ制作に没頭するものの、何故か1992年10月に上京。上京直後はその音楽プロデューサーの家(恵比寿)に居候していたという。程なく横浜市桜木町に居を構え、マネキン人形運びのアルバイトをする傍ら〔、オリジナル曲の制作も行いつつ、ライブハウスへの出演や杏子へ楽曲提供、CMソングの仕事や永瀬正敏三上博史のアルバムにスタジオ・ミュージシャンとして参加するなど下積み時代を過ごす。
1993年11月RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」〔「トランジスタ・ラジオ」は、RCサクセションが1980年10月にシングルA面曲として発表した楽曲。アルバムでは、『EPLP』(1981年6月)に収録。〕のカバーシングルを、キティレコードからリリース〔既に入手は困難であるが、ほぼ同じアレンジでレコーディングされ、2007年10月31日発売のカヴァーアルバム『COVER ALL HO!』に収録された。 〕。1994年(平成6年)3月からはフジテレビ深夜番組『寺内ヘンドリックス』に準レギュラーとして出演。この時期、山崎自身のアルバム・レコーディングも開始された〔が、キティ・レコードの経営悪化に伴い、山崎のデビュー話が浮く形になる。山崎を見出した音楽プロデューサーはキティ・レコードを退社。その音楽プロデューサーが別のレコード会社に山崎を売り込みに行き、山崎はひたすら創作に没頭するという「不遇の時代」を過ごす〔。なお、この音楽プロデューサーは後に山崎のチーフマネージャーになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山崎まさよし」の詳細全文を読む




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