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山崎吉家 : ミニ英和和英辞書
山崎吉家[やまざき よしいえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

山崎吉家 : ウィキペディア日本語版
山崎吉家[やまざき よしいえ]
山崎 吉家(やまざき よしいえ、生年不詳 - 天正元年8月14日1573年9月10日))は、日本戦国時代から安土桃山時代にかけての武将越前国戦国大名朝倉氏の家臣。山崎長吉(小次郎祖桂)の子。新左衛門尉、長門守と称す。弟に吉延、子に吉健
== 生涯 ==
山崎長吉(小次郎祖桂)の子として誕生。
朝倉宗滴に従い加賀一向一揆と戦うなど軍略に優れ、越後国上杉氏美濃国との外交にも関与した。特に主君の朝倉義景織田信長との抗争の際には小谷城浅井長政を救援しよく持ちこたえさせ、織田家の部将森可成らを討ち取る(宇佐山城の戦い志賀の陣)など活躍した。
天正元年(1573年)、刀禰坂の戦いでは退却する朝倉軍の殿軍を任され奮戦したが、織田軍の執拗な追撃の前に力尽き、弟の吉延、子の吉健ら一族のほとんどを含めた多くの将兵と共に戦死した。
後に明智光秀前田利家に仕えた山崎長徳は吉延の子で、吉家の甥ともいわれている。
よしいえ
category:戦国武将
category:1573年没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山崎吉家」の詳細全文を読む




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