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山崎恵純 : ミニ英和和英辞書
山崎恵純[やまさき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 

山崎恵純 : ウィキペディア日本語版
山崎恵純[やまさき]
山崎 恵純(やまざき けいじゅん、嘉永7年4月1日1854年4月27日) - 大正5年(1916年3月24日)は、日本法律家。京都弁護士会会長。
==人物==
1854年、現在の広島県に生まれた。1884年明治17年)、司法省法学校(のちの東京帝国大学法学部)を卒業し、同年7月、京都地方裁判所(京都始審裁判所)判事として京都に赴任。法学教育を広めたいと1889年(明治22年)、京都法学校を創設し、自ら校長に就任した。1904年(明治37年)には京都弁護士会会長に就任し五度つとめたが、政治家を志し1907年(明治40年)の京都府議会議員選挙に当選し、1911年(明治44年)まで府議会議員として活動した。五男は読売新聞経済部長から立命館大学の教授になった山崎請純。
京都法学校は四条寺町の大雲院内に開設され、増加する入校希望者を収容すべく規模拡大の計画があがったが、それを知った中川小十郎と校長の山崎との合意に基づき、中川が1900年明治33年)に設立した京都法政学校(現在の立命館大学)に吸収された〔中川小十郎自筆の覚え書きによると「我が学園が私どもの手で創設されんとしていた少しまえに、京都弁護士会の有志の方にも同様の計画があって、それは大阪における関西大学同様に、京都における官民法曹の仲間での計画であったらしい。当時の弁護士会会長は山崎恵純氏であって、氏は司法省法学校の出身で、当時の弁護士間にはすこぶる重きをなしていた人であった。同様の計画が双方の間に勧められて、そのために事情が面倒になっては面白くないと思ったので、私は直に山崎氏を訪問して、当方における計画の内情を打ち明けて協議をしたのであったが、氏が詳細を聴取された後、直に私どもの計画に賛成されて、先方の計画を中止すべきことを言明せられたのであった。(中略)氏の令息で読売新聞の経済部長である山崎請純氏が、昨年度から本学のために特別講義を引き受けられるることになったので、その因縁の浅からざることを不審議に思って、息山崎氏ともこのことを話し合っておるのである」(出典:『中川小十郎と京都帝国大学設立事情および京都法政学校の創立』著・松本皎「立命館百年史紀要 第1号」(131頁)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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