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山崎 朋子(やまざき ともこ、1932年1月7日 - )は、女性史研究家、ノンフィクション作家。なお、同姓同名の山崎朋子とは別人であり、無縁である。 == 経歴 == 長崎県佐世保市生まれ、広島県呉市と広島市で育つ。本籍地は福井県。父は海軍士官の大畑正、母は若山喜志子門下の歌人で三冊の歌集を持つ大畑晴子。1940年、父が艦長を務める伊号第六十七潜水艦が沈没し、父を喪う。1945年、広島市への原子爆弾投下前に母親の郷里福井県に移り終戦を迎える。1952年、福井大学教育学部二部を2年修了。福井県で小学校の教師をした後、54年、女優となることを夢見て上京、再度小学校教諭を務めるが一年で辞め、演劇の勉強をするうち、知り合った東京大学院生・金光澤と事実婚。しかし金は朝鮮総連学生部の委員長であり、ナショナリズムのゆえに日本人妻を忌避する風潮が現れ、金の許を去る。その後喫茶店で働きつつ、写真のモデルなどをしていたが、58年、一方的に朋子に執着した男に顔を傷つけられ、女優の夢を断たれる。同年、新宿の風月堂でウェイトレスをしていて、児童文化研究者・上笙一郎と知り合い、59年、結婚。上の本名である山崎を姓とする。(以上は自伝『サンダカンまで』に詳しい) 女性史研究者としての勉強を始め、上との共著『日本の幼稚園』で1966年、毎日出版文化賞受賞。アジア女性交流史研究会を創立し、77年まで『アジア女性交流史』を刊行。九州地方の「からゆきさん」の聞き書き『サンダカン八番娼館』で1973年、大宅壮一ノンフィクション賞受賞、同作は映画化もされ(『サンダカン八番娼館 望郷』、熊井啓監督)、ベストセラーとなる。『あめゆきさんの歌』では、評論家の山田わかが、若い頃アメリカで娼婦をしていた事実を明らかにした。以後、女性史研究の第一人者として著書多数。アジア女性交流史研究会を設立、また1990年代にはアジア女性基金を設立、近代女性の著作の復刊「女性叢書」の編纂などに従事。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山崎朋子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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