翻訳と辞書
Words near each other
・ 山崎要一
・ 山崎覚太郎
・ 山崎覚次郎
・ 山崎誠
・ 山崎誠 (アナウンサー)
・ 山崎誠 (曖昧さ回避)
・ 山崎誠助
・ 山崎誠士
・ 山崎諭
・ 山崎謙吾
山崎豊
・ 山崎豊子
・ 山崎貝塚
・ 山崎貝塚 (千葉県)
・ 山崎貝塚町
・ 山崎貞一
・ 山崎貞一賞
・ 山崎貴
・ 山崎貴子
・ 山崎貴弘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山崎豊 : ミニ英和和英辞書
山崎豊[やまざき ゆたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)

山崎豊 : ウィキペディア日本語版
山崎豊[やまざき ゆたか]

山崎 豊(やまざき ゆたか、1831年天保2年) - 1912年明治45年))は、幕末から明治時代実業家
== 略歴 ==
天保2年(1831年11月18日武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)に生まれる。生家は川越で菓子商を営む山崎家で、初代の山崎嘉七が信州中野(現在の長野県中野市)から川越に出て、天明3年(1783年)に和菓子店・亀屋を創業、以来、武蔵国川越藩の御用達となった。
山崎家は代々「嘉七」を襲名(但し7代目からは襲名せず)、豊はその4代目で亀屋を江戸風の洗練された和菓子商店に変革、川越名物「亀の最中」など亀屋中興の祖と言われる。慶応3年(1867年)には川越藩の御用商人となり藩の財政にも関与、明治以降は川越の経済活動の中心的人物の一人。明治11年(1878年)に開行した第八十五国立銀行の設立発起人の一人となり、明治25年(1892年)には頭取に就任、第八十五国立銀行は明治31年(1898年)には民営化され第八十五銀行となる。さらに明治29年(1896年)には川越貯蓄銀行を創設、両行の頭取に就任した。また明治33年(1900年)には埼玉県で最初の川越商業会議所(現在の川越商工会議所)を発足させ、初代会頭ともなった。大正7年(1918年)の時点で資本金100万円という資本力を誇った第八十五銀行は豊の財力・経営手腕に多くを負っていた。産業功労者に表彰される。
教育面では志義学校の創設に尽力、「画宝会」の幹事として芸術家を後援した。特に川越藩士だった橋本雅邦とは交流があり雅邦を経済的に支援、豊は雅邦や菊池容斎川合玉堂の作品を蒐集、それらは豊の生誕150周年を記念して、昭和57年(1982年11月3日に開館した山崎美術館で見ることができる。
明治45年2月27日死去。82歳。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山崎豊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.