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山崎 阿弥(やまさき あみ、2月8日 - )は、日本の声のアーティスト、映像作家、造形作家である。 == 来歴 == 愛媛県松山市生まれ。名前の阿弥は母が命名、母親の好きな仏像(興福寺の阿修羅と広隆寺の弥勒菩薩)から1字ずつ取られている。母は詩人、母方の曽祖父(もしくは大叔父)は作家の岡田三郎、曾祖母は愛媛県初の女性新聞記者高木青葉、また母方の祖母の家系は伊達藩の船大工で伊達秀宗が宇和島藩に入部した際共に宇和島へ移住した。愛媛県立松山東高校、愛媛大学法文学部文学科社会学専攻卒。学芸員資格取得。小学校では金管合奏部で3年間ホルンを演奏、高校ではボート部に所属し、女子漕艇部創部のエピソードが映画化(がんばっていきまっしょい)された際はボート指導を務める。高校の行事『予餞会』で初めて短編映画を制作する。大学では文化人類学者の上田紀行、社会学者の永野由紀子を指導教官とし思考の言語化のベースを得た。卒業後は石川県に移住、金沢市で映画監督の石井聰亙(現石井岳龍)と話したことをきっかけに映画を作り始め、『金澤インディーズ映画祭』の開催にも関わる。金沢市の竪町商店街とシネモンドが企画した映画製作ワークショップにシナリオが採用され監督として『僕の日々で』を制作。金沢市在住中に18本の短編・中編を制作。2004年に東京へ移住、以降~現在、東京を活動拠点とする。 2002年、『金澤インディーズ映画祭』の打ち上げで歌ったことをきっかけに金沢市のカフェメロメロポッチで月に1回、声だけのライブをスタートする。開催日の毎月第四火曜日は“世界につながる第四火曜日”とされ、この枠の二代目:ピアニストの佐野観の後を引き継ぐ。初個展『腑(こころ)の窓』をINAXギャラリー<金沢>にて開催、10冊の絵本と14m×2.7mの壁画、20点のドローイングを展示。この個展を見た学芸員の提案により金沢21世紀美術館建設事務局にて学芸課アシスタントを約1年務める。 2003年、金沢市民芸術村のカウントダウンイベントで歌・朗読の出演。このパフォーマンスで得た体験をきっかけに東京へ移住。 2004年2月~現在、東京を活動拠点とする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山崎阿弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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