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山川 建(やまかわ たけし、1892年(明治25年)10月18日 - 1944年(昭和19年))は、日本の官僚、華族。文部省専門学務局長を最後に退官し、貴族院男爵議員を務める。山川浩男爵家当主。 ==経歴== 東京府出身。父は山川健次郎でその四男である。長兄の山川洵は東京帝国大学教授。1913年(大正2年)、山川廉の跡を継いで伯父の山川浩家を承継した。七高〔『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』497頁〕を経て、1918年(大正7年)、東京帝大を卒業し高等文官試験に合格。千葉県警視、同理事官、静岡県地方事務官を経たのちは文部官僚として終始する。普通学務局庶務課、専門学務局学務課、大臣官房体育課、同文章課、同会計課の各課長を歴任。この間欧米視察に派遣された。社会教育局長を経て専門学務局長在任中に京都帝国大学で横領事件や清野事件が発生し濱田耕作総長が辞意を表明したが、山川は荒木貞夫文相の意を受けて、辞意撤回の説得を行った〔35-36枚目。〕。山川は1939年(昭和14年)4月に辞任している〔 画像7枚目〕。荒木文相による人事異動で知事へ転出を求められ、拒んだことが理由であった〔169-170頁〕。その後は日本諸学振興委員会の常任委員を務め、また貴族院議員に互選され公正会に所属した〔『貴族院議員名簿』画像68枚目。〕。位階勲等は、1937年時点で従三位勳三等〔『大衆人事録 東京篇(第13版)』「山川建」〕。会津会会員〔『会津会雑誌第51号』(昭和12年12月発行)〕。 妻は高杉晋の次女、綾子。高杉は岡山県出身で、戦前は大日本麦酒や帝国ホテルなどの役員〔『大衆人事録 東京篇(第13版)』「高杉晋」〕、戦後は京都ホテル会長を務めた実業家である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山川建」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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