|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 山形 : [やまがた] 【名詞】 1. mountain-shaped ・ 形 : [けい, かたち, ぎょう] 1. (suf) shape 2. form 3. type ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 町 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road ・ 教会 : [きょうかい] 【名詞】 1. church ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
山形本町教会(やまがたほんちょうきょうかい)は、山形県山形市にある日本基督教団の旧メソジスト系の教会である。 アメリカ・メソジスト監督教会の宣教師ジュリアス・ソーパーと高橋雲岱が山形で伝道を始めた。後に中山忠恕が加わり、1882年(明治15年)には高橋雲岱は天童美以教会の担当になり、中山が山形巡回伝道師になり、横町(本町1丁目)に山形美以教会を設立する。 1882年(明治15年)に山形教会が創立された。1884年(明治17年)に古坂啓之助が牧師として派遣される。〔『日本キリスト教歴史大事典』519頁〕 1907年(明治40年)には日本メソジスト教会に所属した。1890年(明治23年)より日本基督教会と提携して、廃娼、禁酒運動などの社会救済事業に先駆的な役割を果たした。 1915年(大正4年)本多愛雄(本多庸一の息子)が着任し、隣地の民家を購入し会堂改築を計画するも、本多が病気で離任死去する。1918年(大正7年)に本格的に会堂を建設し本多メモリアル・チャーチと命名される。 全国基督教教化運動を機に、大正末期より活発な伝道を展開する。(昭和15年)に木俣富太郎が就任する。1941年(昭和16年)日本基督教団の設立により、山形横町教会になる。戦争中、きよめ教会の山形教会が政府により解散させられると、会員は山形横町教会に加わる。 1951年(昭和26年)本町に町名が変更したので、山形本町教会と改称する。1957年(昭和32年)本町2丁目に移転新築する。1964年(昭和39年)に木俣牧師が引退する。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山形本町教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|