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アルファボクシングジムは、東京都羽村市の羽村駅近くのボクシングジムである。ムエタイ・キックボクシングから、国際式ボクシングジムに転ずるという日本のボクシング史では唯一の経緯をたどった。2011年までは山木ジム(やまきジム)の名で女子ボクシング、それもプロのみ所属であった。現在はフィットネスコースなども設けられ、これらのコースは男性も対象としている。 == 概略 == === ムエタイ・キックボクシング === 鹿児島県名瀬市(現在の奄美市)出身で城西高校野球部及び千代田電子工学院出身のプロ・キックボクサーのウルフ隼人(本名:山木敏弘、1953年4月29日生)が、自身の現役時に野口修・沢村忠・藤本勲が築いた目黒ジムから円満独立で設立(1984年)。若者の街・下北沢の繁華街のど真ん中という好ロケーションであった。選手を続けながらジムを経営していた(キックボクシングでは兼任が許される)。伊原信一経営の伊原道場(伊原ジム)との関係から日本キックボクシング連盟から円満離脱・独立し、日本ムエタイ連盟を結成し、代表となる(1987年5月25日)。日本ムエタイ連盟は、大会場でどんどんビッグマッチをうっており、1988年前後では最も力のあった団体であった。 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(MAキック)で小沢一郎(当時自民党<木曜クラブ・創政会→経世会>衆議院議員で第2次中曽根内閣 (第2次改造)自治相兼国家公安委員長や竹下内閣官房副長官、現生活の党と山本太郎となかまたち代表)・日豊企画の体制が崩れ、同連盟が半ば崩壊した1989年、山木ジムは日本ムエタイ連盟を終了し、MAキックに加入、トロイカ体制の一角として執行部入り。のちに山木は同連盟理事長となった。山木ジムは全日本新空手道連盟非加盟だが個人参加で1991年60kg級準優勝の井上哲、港太郎・山本明・室戸みさき(3階級制覇、後のワンダーマン室戸)・伊藤隆・加藤督朗・ラビット関・山口元気・大高一郎・山木が創設した日本アマチュアキックボクシング連盟の第1回全日本選手権ミドル級制覇し最優秀賞獲得の三宅裕二改めHAYATOを輩出し、彼らを王者・世界王者にまで育てた。一時期は同ジム所属のキック王者が6・7人同時に存在していたほどである。 なお2000年前後には朝堂院大覚総裁率いる世界格闘技団体連合振興会や佐山聡創設したSAボクシングにも参加。 世界格闘技団体連合が2002年2月27日東京体育館「「第一回日本武道祭」 アジア地域戦没者慰霊協会 ミャンマー北部地域戦没者遺骨収集団 結団式決起大会」開催した際も<アルティメットボクシング>実施されカチェチラゼ・イオセナ(ロシア)が港太郎に3-0判定勝。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルファボクシングジム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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