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山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 高知県出身。山本雄秀の二男として生れる。県立中学海南学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第62連隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した。 兵科を航空兵科に転じ、1924年(大正13年)2月から10月まで操縦学生として訓練を行った。同年10月、飛行第5大隊付となり、飛行第5連隊付、同中隊長、陸軍航空本部員、下志津陸軍飛行学校教官などを歴任し、1931年(昭和6年)8月、航空兵少佐に昇進した。 1933年(昭和8年)8月、陸軍省軍務局課員に就任し、1935年(昭和10年)8月、航空兵中佐に進級。同年12月、飛行第12連隊付となり、航空本部員を経て、1938年(昭和13年)3月、航空兵大佐に昇進し航空本部第3課長に就任した。 1938年12月、陸軍航空総監部第2課長兼航空本部第4課長に発令され、次いで飛行第12戦隊長に着任。ノモンハン事件に出動した。1941年(昭和16年)7月、第7飛行団長に就任。同年8月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎え、南方の諸作戦に参加した。 1942年(昭和17年)12月、浜松陸軍飛行学校幹事となり、同校長を経て、1944年(昭和19年)6月、第8飛行師団長心得に就任し台湾防空の任を担った。同年10月、陸軍中将に進み、第8飛行師団長に親補された。台湾で終戦を迎え、1946年(昭和21年)に復員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本健児」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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