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山本 優弥(やまもと ゆうや、男性、1984年7月15日 - )は、日本のキックボクサー。広島県尾道市出身〔「東京メール」『中国新聞』、2014年8月10日、5面〕。青春塾所属。 バックボーンは空手(新空手)。オールラウンダーだがその中でも、オーソドックススタイルからのスイッチ左ミドルキックや、バックハンドブローなどを得意とする。 == 来歴 == 尾道市立高須小学校・福山市立松永中学校・広島県立松永高等学校卒業〔。 2001年5月5日、16歳で第12回全日本新空手道選手権大会の軽量級に出場し、史上最年少年齢で優勝。 2001年9月7日、空修会館所属として全日本キックボクシング連盟に17歳でデビュー。デビュー戦はダウンを奪い、判定勝ち。 2004年1月4日、山内裕太郎の持つ全日本ウェルター級タイトルに挑戦するも、判定負け。タイトル獲得ならず。 2004年5月、空修会館が休会となり平谷法之・寺戸伸近と共に新チーム「BOOCH BEAT(ブッチ・ビート)」所属となった〔[全日本キック] 5.16 後楽園:山本優弥、185cmのペルー人と対戦 BoutReview 2004年5月16日〕。 2004年11月19日、山内の持つ全日本ウェルター級タイトルに再挑戦するも、引き分け。またしても、タイトル獲得ならず。 2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟興行で佐藤嘉洋と対戦。1Rに2回、2Rに2回、3Rに1回、4Rに1回と計6回のダウンを奪われ、ジャッジ3者とも39-50という大差の判定負け〔【全日本キック】佐藤、消化不良の判定勝利。郷野がベルト奪取 格闘技ウェブマガジンGBR 2005年2月6日〕。 2005年5月4日にK-1デビュー、オープニングファイトを3試合経験。 2006年1月、「BOOCH BEAT」から「青春塾」に移籍〔山本優弥が青春塾入り BoutReview 2006年1月13日〕。 2006年2月4日、K-1本戦デビューとなった「K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜」では1回戦でTATSUJIと対戦するも、試合中に右肩を脱臼。しばらく戦い続けるも、レフェリーが異状に気付き試合をストップ。ドクターチェック時には「できるよ!」などと涙ながらにドクターに叫んで訴えたがドクターストップで敗れた〔 BoutReview 2006年2月4日〕。複雑な脱臼となり、2月末に手術を行った〔優弥、ジムワーク再開。神童から闘拳に変身? BoutReview 2006年5月11日〕。 2006年9月4日、K-1 WORLD MAXで7か月ぶりに復帰しファリッド・キダーと対戦したが、判定負け。 2007年5月11日、王座決定トーナメントの決勝で湟川満正に判定勝ち。第23代ウェルター級王者となった。試合後にマイクを持ち、「このベルトは通過点だと思っていたけど、巻くと凄く嬉しい。全日本キックの先輩の魔裟斗さん、佐藤嘉洋さん、小林聡さんみたいな、オーラのある選手になりたい」とコメントした。 2007年10月25日、全日本キックボクシング興行で尾崎圭司とK-1ルールで対戦し、判定勝ち。「K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜」への出場を決めた。 2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。1回戦でアンディ・オロゴンと対戦。互角の戦いを見せるも2Rのダウンが響き判定負け。 2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16のオープニングファイトでマルフィオ・"ザ・ウォーリヤータイガー"・カノレッティと対戦し、判定勝ち。 2008年12月5日、全日本キックボクシング連盟興行でクリストフ・プルボーと全日本ウェルター級タイトルマッチで対戦し、頭部カットによるTKO負け。 2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。1回戦で前回敗れているTATSUJIに延長R判定勝ち。準決勝で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。2Rに左フックでダウンを奪い、3Rに長島が出血によるドクターストップとなったためTKO勝ちで決勝進出。決勝では小比類巻太信と対戦。準決勝までのダメージを残しながらも、3Rには右ストレートでダウンを奪ったが判定負け。準優勝となった。 2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16のトーナメント1回戦でイム・チビンと対戦し、2Rにバックブローでダウンを奪うなどして判定勝ちを収めた。当初はリザーブファイトに出場予定であったが、日本王者の小比類巻太信のドクターストップにより本戦出場となり、日本人3人の中で唯一の準々決勝進出となった。 2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8のトーナメント準々決勝でドラゴと対戦した。下馬評を覆し、終始圧倒し判定勝ちを収め、準決勝に駒を進めた。また、この試合には佐々木希がデザインしたキックパンツを着用して臨んだ〔【K-1MAX】7・13魔裟斗&佐々木希が山本優弥を強力サポート!ドラゴ戦は勝機あり 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年7月10日〕。 2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのトーナメント準決勝でジョルジオ・ペトロシアンと対戦し、1Rにパンチで2度のダウンを奪われKO負け。しかし、この年の日本人最上位の世界トーナメント第3位となった。 2010年3月27日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜の1回戦で、事実上の決勝戦として最も注目を集め、日菜太と対戦。結果は判定負け。日本トーナメント1回戦敗退となった。 2010年4月29日、Krush.6のメインイベントでスコット・シャファーと対戦した。1Rにパンチでダウンを奪われ、更にKO寸前まで追い詰められるも、2R以降盛り返し、3Rに右ハイキックからの左膝蹴りで逆転KO勝ちを収めた。試合後のリング上で試合を観戦していたK-1イベントプロデューサーの谷川貞治に対して「推薦枠で出してください」と世界トーナメント出場を直訴した〔【Krush】山本優弥が劇的KOでメインを締める!K-1甲子園王者・野杁もKO勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年4月29日〕。谷川は「優弥クンの試合が素晴らし過ぎて、ファンの意見も聞きながら本当は考えていなかった世界トーナメントの出場も考えたい」と高評価した。 2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg World Championship Tournament FINAL16〜で佐藤嘉洋と対戦し、0-2の判定負け。後日、ジャッジの集計ミスが発覚し、0-3の判定負けへの訂正が発表された〔[K-1] 佐藤嘉洋×山本優弥の採点を訂正。勝敗は変わらず BoutReview 2010年7月9日〕。 2010年8月14日、Krush.9のメインイベントで名城裕司と対戦予定であったが、7月28日に急性虫垂炎および汎発性腹膜炎と診断され、翌29日に虫垂切除手術を受けたため、欠場となった〔【Krush】8・14山本優弥が盲腸手術で欠場、代わって佐藤嘉洋が後楽園ホール凱旋! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月22日〕。 2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINALのスーパーファイトで総合格闘家・池本誠知と対戦し、2Rに3度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた〔【K-1MAX】佐藤嘉洋、無念…決勝戦で力尽きる!ペトロシアン史上初の2連覇を達成 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月8日〕。 2011年1月9日、Krush初代王座決定トーナメント 〜Round.2〜のスーパーファイトで渡辺雅和と対戦し、2Rに2度のダウンを奪いKO勝ちを収めた。 2011年2月5日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の四」で新田純一とのエキシビションマッチを行なった〔【ビッグバン】城戸康裕がダウンを奪って完勝「K-1チャンピオンに返り咲く」 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年2月5日〕。 2011年4月30日、Krush初代王座決定トーナメント ~Triple Final Round~で郷野聡寛と対戦し、判定勝ち。 2011年5月29日、Krush -70kg初代王座決定トーナメント ~開幕戦~で、K-1甲子園2009 -70kg級王者松倉信太郎と対戦し、3Rに膝蹴りでダウンを奪われ0-3の判定負けを喫した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本優弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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