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山本 卯太郎(やまもと うたろう)は、大正末期から昭和初期の橋梁技術者〔「近代化産業遺産群 続33」(経済産業省)が2009年(平成21年)2月6日に選定された。その発表資料の「近代化産業遺産群 続33 ~近代化産業遺産が紡ぎ出す先人達の物語~」においても、山本卯太郎についての記述がある。〕。複雑な構造をもつ可動橋を得意とし、多数の跳上橋を設計。数学の手法を用いて、可動橋の動的なメカニズムを解析。新技術を開発し、独自の発展を遂げた可動橋分野を牽引した人物。 == 来歴 == 名古屋高等工業学校を卒業後、米国に渡航し、4年間橋梁を研究。1919年(大正8年)、山本工務所を興す。1927年(昭和2年)2月に竣工した名古屋港跳上橋(登録有形文化財、1999年(平成11年)2月17日登録〔名古屋港跳上橋 〕)、1931年(昭和6年)12月に竣工した末広橋梁(重要文化財、1998年(平成10年)12月25日指定〔重要文化財指定(建造物) <平成10年10月> 〕)を設計。 名古屋高等工業学校で教鞭をとり、後進の育成にも努める。1931年(昭和6年)に体調を崩したが、回復〔駆けつけた家族の手厚い看病もあり回復。入院加療後、温泉で静養。〕〔「工事タイムス 山本卯太郎氏」『土木建築工事画報』第7巻第10号、工事画報社、1931年(昭和6年)10月。〕。1932年(昭和7年)頃から、おもに近畿方面や日本国外〔「工事タイムス 釜山郊外洛東の新可動橋」『土木建築工事画報』第7巻第5号、工事画報社、1931年(昭和6年)5月。〕での設計・製作に携わるが、出張先〔山口県方面〕で倒れ、1934年(昭和9年)4月20日に急逝。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本卯太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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