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山本 哲士(やまもと てつじ、1948年7月10日 - )は、日本の社会学者、教育学者。元東京藝術大学客員教授、元信州大学教授。文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター。助六大学学長。日本ホスピタリティ財団理事。評論活動で名を馳せたほか、現在はホスピタリティ環境学、教育社会学、政治社会学を専門とし、さまざまな活動に携わる。また、かつては熱心なプロ野球横浜ベイスターズファンとしても知られていた。著書・編書は60册以上。通称は「哲教授」、「山哲」。 == 人物・来歴 == 1948年、福井県福井市に生まれる。浪人時代「原民喜論」でZ会懸賞論文最優秀賞。横浜国立大学教育学部に進み、サークル活動でフランス文学研究会をシュールレアリズム研究会に改組し、同人詩集を編集・刊行、無党派として旧・新左翼の党派政治主義と異なる新たなタイプの学生運動を独自に展開。自主講座から五十嵐良雄、梅沢謙蔵、佐野美津男といった講師を大学側に正規に承認させる。大学4年生のとき阿久津てつしのペンネームで「自闘論」を『構造』に発表、清水昶の詩と吉本隆明の詩から政治を論じ、周囲から「横浜のランボー」と称される。 1972年に卒業後、東京都立大学大学院に進んで教育学を専攻。修士論文は「キューバ教育の社会主義的変容」。キューバ革命教育のダイナミクスとその停滞を知り、次に、非イデオロギー的な革命としてメキシコ革命の検証に入り、博士論文「メキシコ革命における1910~1940年の教育変容」を考証しつつ、実証研究に限界を感じ、以後、断ち切る。 日本の教育学、キューバ社会主義研究、さらには日本そのものにうんざりしていた山本は、オーストリア出身で当時メキシコを拠点に活動していた文明批評家イヴァン・イリイチに希望を見いだし、1975年、帰国の費用も持たずメキシコに旅立つ。〔山本哲士(1979)『学校・医療・交通の神話』335頁。〕。 以後、3年間にわたって、イリイチが主宰するメキシコ国際文化資料センター(CIODC)に研究者として勤務し、ラテン・アメリカ、産業社会研究に取り組むことになった。また、セマナワック教育コムミダードの専任講師として、ラテンアメリカの文化・歴史・社会、スペイン語の講義を行った。 帰国の際には、今防人、新曜社の堀江洪らの助けを受け、大学院修了。また、以前は「本業」とまで言い切るほどの横浜ベイスターズファンで「月刊ベイスターズ」のコラムニストを1996年から務めているほか(2007年5月号で休載)、「野球文化学会」創設にも尽力した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本哲士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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