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山本 学治(やまもと がくじ、1923年 - 1977年)は、日本の建築学者。建築研究家。建築史家。建築構造学者。構造史家。建築教育者。建築評論家。構造工学から建築歴史学などからのアプローチによって、多くの建築批評を展開。また、東京美術学校、東京藝術大学の教員として長く教鞭を執り、多くの建築人材の育成に当たった。また勤務先の東京藝術大学では山岳部長をつとめ、芸大山岳部の歌「ぼくらの故郷(ZIGEUNERKEBEN)」を制作している。旧東京市生まれ。 == 略歴 == * 東京帝国大学第二工学部建築学科卒業後、東京帝国大学大学院に進学。小野薫に建築構造学を、関野克に建築史を師事する。大学院修了後、中村登一の推薦紹介によって、1949年、東京美術学校建築科に赴任。1964年、東京芸術大学教授。構造学を担当。講座制に移行後は建築史を担当。教育にあたる一方で、戦前からの建築雑誌『国際建築』の復刊に浜口隆一らと参加、建築家ミース・ファン・デル・ローエの評論からロベール・マイヤール、オヴ・アラップ、ピエール・ルイージ・ネルヴィ など、海外の構造家の紹介を、建築評論では近代建築を構造計画の視点から作家論やデザイン論、素材論、文化論、技術論などの視点まで広い視野で建築評論を展開した。五十代半ばで病に倒れ、急性心不全で逝去 *代表幹事として新建築家技術者集団(新建)の運営に参画。東京支部代表として新建学校という講座を主宰し「校長」として毎年1講座を担当した。また日本建築学会学会誌の編集委員、委員会委員や幹事を多く歴任。 * 山岳スキーやフルートを趣味とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本学治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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