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山本尚貴 : ミニ英和和英辞書
山本尚貴[やまもと なおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 

山本尚貴 : ウィキペディア日本語版
山本尚貴[やまもと なおき]
山本 尚貴(やまもと なおき、1988年7月11日 - )は栃木県出身のレーシングドライバー
サントリースーパーチューハイCMの「スーパー部長」に似ているとのことから、まだ20歳代なのにもかかわらず、レース関係者の間では「部長」の通称で呼ばれている〔J SPORTSのSUPER GT中継(2010年開幕戦)で解説の福山英朗が語っており、実況の下田恒幸も同意している。〕。
== プロフィール ==

* 身長: 164cm
* 体重: 63kg
* 血液型:RH+B型
* 趣味:マウンテンバイク、フィッシング
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1994年から6歳でカートを始める。
2002年には全日本カート選手権 FAクラスでシリーズチャンピオンとなり、2004年、2005年とイタリアン・オープン・マスターズ FAクラスに参戦、2005年にはシリーズランキング5位となった。
2006年、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)に入校し、成績優秀者としてスカラシップを獲得。2007年はホンダHonda フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)からフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)に参戦し、自身の地元である第15戦と第16戦のもてぎで2連勝を決め、シリーズランキング2位を獲得している。
2008年はHonda Team Realから全日本F3選手権・全日本選手権クラスにステップアップし、第9戦岡山で初優勝を果たしたものの、シリーズ5位に終わった。
2009年はHFDP RACINGより全日本F3選手権・Nクラスに参戦。第6戦、第7戦、第10戦で優勝し、地元もてぎで第11戦、第12戦にて2連勝を決めた。この際、ツインリンクもてぎには「山本尚貴応援席」が設置。地元の友人が中心となった手づくりの応援が行われた。その後も第13戦、第14戦と連勝を重ね、最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを獲得した。
2010年は、NAKAJIMA RACINGよりフォーミュラ・ニッポンに、TEAM KUNIMITSUからSUPER GT GT500クラスに参戦。SUPER GT開幕戦鈴鹿では、デビュー戦ながら荒れたコンディションの中タイヤを交換していないHSV-010 GTで粘り強い走りを見せて、3位表彰台を獲得した。
2011年はフォーミュラ・ニッポンではNAKAJIMA RACINGからTEAM無限へ移籍。SUPER GT GT500クラスでは引き続きTEAM KUNIMITSUから参戦。フォーミュラ・ニッポンでは移籍早々開幕戦で自身初のポールポジションを獲得。しかしレースでは1コーナー先で接触を喫しリタイヤに終わる。その後は勢いに乗れずシリーズ11位に終わった。SUPER GTではシリーズ9位。
2012年は、TEAM 無限より全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに、SUPER GT GT500はTEAM KUNIMITSUと変わらず。
2013年はスーパーフォーミュラにはTEAM無限から、童夢レーシングからSUPER GT GT500クラスに参戦。第5戦鈴鹿1000kmではフレデリック・マコヴィッキィと共に悲願のGT500初優勝を果たし、勝利者インタビューでは人目もはばからず涙をみせた。スーパーフォーミュラでは開幕戦から調子を上げ、第3戦オートポリスで自身初の表彰台を獲得。向かえた最終戦鈴鹿を前にシリーズ1位、2位のアンドレ・ロッテラーロイック・デュバルWECに参戦するため欠場という状況ではあったが、2レース制の最終戦で2つのポールポジションを獲得。レース1では自身初優勝、レース2でも条件ギリギリの3位に入り初代スーパーフォーミュラのチャンピオンへと輝いた。
2014年はスーパーフォーミュラはTEAM無限、SUPER GT GT500は童夢レーシングから参戦。両カテゴリー共に新型車両導入のシーズンであったが、ホンダ勢は軒並み苦戦を強いられる。その中でもSUPER GTでは大雨の第5戦富士500kmレースにて、ホンダ勢ではシーズン唯一の勝利を飾った。最終戦までチャンピオンの権利を残し、シリーズ4位で終える。スーパーフォーミュラでも序盤はポイント獲得が精一杯であったが、第5戦オートポリス、第6戦SUGOと2戦連続でポールポジションを獲得。ホンダ勢では最上位の9位でシリーズを終える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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