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山本 市英(やまもと いちえい、1891年 - 1969年)は、日本の政治家・実業家。石川県出身。空知農学校卒。1915年早稲田大学専門部政治経済科卒業。元北海道議会議員、元衆議院議員、北海道岩見沢市市長(1947年-1954年)。 == 経歴 == 小樽新聞(後の北海道新聞)に入社し新聞記者。同社岩見沢支局長。小樽商業会議所総務課長。1924年、第8期北海道議会議員に当選、2期8年務め、北海道議会参事会員。その後1933年の第18回衆議院議員総選挙にて北海道第4区から当選。1期務め、立憲政友会に所属。1936年の第19回から1942年の第21回まで立候補するもいずれも落選。 第19回落選後に、市長当選に至るまでの間、大正製薬化学監査役、北都製薬取締役社長、岩見沢バス社長、鳳組社長、北斗組社長などを歴任した。 1947年、第1回統一地方選挙において初の公選市長として岩見沢市長に就任。 1951年の第2回統一地方選挙では3候補による市長争い。開票の結果山本と能勢実による決選投票(岩見沢市長選では戦後唯一)になり、結果575票差で山本が再選を果たした。 1954年4月に市政調査特別委員会が設置され、山本の財政逼迫化の責任が問われ9月11日辞任。市議会では「辞任理由が薄弱」「なぜ突然の辞任なのか」と批判された。直後の同年10月の市長選に再度立候補するも、川村芳次に破れる。神奈川県平塚市にて78歳で没。岩見沢市明了寺で市民葬が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本市英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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