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山本常阿(やまもと じょうあ、1964年12月2日 - )は、日本の僧侶、ミュージシャン。 京都府の寺に生まれる。僧侶修行の傍ら幼少の頃より音楽とそれに付随する楽器や音響機器等に興味を持ち、10歳からギターを始め12歳で各種音響機材などを自作する。十代の半ばに当時国内での情報発信の重要な拠点の一つであった京都のライブハウス"dee-bee's"のスタッフとなり、内外のさまざまなアーティストや佐藤カヲル率いるロックグループ"EP-4"、またそれを取り巻く環境の中でサウンドオペレーションのスキルやノウハウ、ほか音楽に関わるさまざまな事を学び経験する。 1982年、18歳でDjとしての活動を始め、京都を中心地に "ArabianNights""Xenon" "Vitaminclub""ChinaExpress"と数々のクラブでレジデンツDjとして従事する。 1984年、ニューヨークのKISS FMでTONY HUNPHRIESが毎週放送していたMIX SHOW "MASTER MIX DANNCE PARTY"に出会い、その技術やGROOVEに感銘を覚え影響を受ける。 1986年に視野を広げるために上京。青山のCLUB "Hippofellow"にDj及びPRODUCERとして迎えられ、そこを拠点として多くのイベント等で活動をするが1988年に体調不良により帰京。体調復帰とともにかねてよりの計画であったニューヨークへ短期間の遊学。惜しくもPARADICE GARAGEはクローズされていたものの、Studio54にて毎週木曜に開催されていたLARRY LEVAN主宰のGARAGE NIGHTで本場のGROOVEを体験。 帰国後は舞台を関西に変え、独自のプロジェクトである"Jaq music.(ジャックミュージック)"をたちあげ、"X-RAY""CrubSEX""BlueNile""Tricolor""MotherLand" "天保山Sirens""ChinaExpress""KX-2" etc…と多くのクラブでのレジデンツDj及びプロデューサーとして、またFMラジオでのMIX SHOWや楽曲提供と、関西一円で活躍する。またJaq music.にはDANCE MUSICを愛する多くのDjやクリエーターたちが参加し、1991年、自分たちのサブプロジェクトであった"Artman Project"で主催した大阪中ノ島でのイベント"U-NITE"でニューヨークのダンスミュージック界の有名プロデューサーでFemous Djの一人でもあるティー・スコットを招き共演する。 その後も、種々のイベント等でサウンドプロデュースや音響設計・Dj・PAオペレーター・音楽製作等と各方面で活動するが、1993年9月、自身のより一層の精神性の向上を求め、音楽活動を一切休止して僧侶としての修行に戻る。 1999年4月に修行中、常に感じていた仏教本来の持つ爽快感と音楽が表現するべきものとの同一性を確信し、それを広く伝えたいと言う想いから、仏教者としての自己の新たなスタンスでの音楽活動を再開する。2000年、再びニューヨークへ短期遊学。2002年には京都大学内の西部講堂で行われたビッグイベント「Loft In Paradce」で来日したDIMITRI FROM PARISと共演。 現在は京都のCulb"COLLAGE"でのレギュラーパーティー "Q"を中心にしたDj活動の他、楽曲制作・Remixなどさまざまな分野で活動中。2007年、オリジナルトラック "Urbane"と"Under the sky"を国内レーベルより立て続けてリリースした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本常阿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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