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山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6月27日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1328頁。〕 - 1986年(昭和61年)4月11日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』695-696頁。〕)は、日本の警察・朝鮮総督府官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、盛岡市長。 ==経歴== 本籍・岩手県〔。山本幸太郎の長男として大阪市に生まれる〔『人事興信録』第14版 下、ヤ158頁。〕〔『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』662頁。〕。第三高等学校を卒業。1931年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1932年、京都帝国大学法学部を卒業。朝鮮総督府に入府し内務局属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』295頁。〕。 以後、朝鮮総督府道理事官、平安北道学務課長、忠清南道地方課長、京畿道学務課長、総督府殖産局事務官、黄海道警察部長、咸鏡北道警察部長、総督府書記官・警務局経済警察課長などを歴任〔。 1944年7月、岩手県部長・警察部長へ転任〔『官報』第5240号、昭和19年7月4日。〕。1945年10月に休職となり〔『官報』第5635号、昭和20年10月23日。〕、翌年に退官した〔。 その後、盛岡魚市場社長、岩手県水産物商業協同組合理事長、盛岡冷蔵社長、盛岡市議会議員などを務めた〔『日本の歴代市長』第1巻、232頁。〕。 1954年2月、盛岡市長に当選。下水道、道路、教育施設の整備などに尽力。また、全国市長会副会長も務めた。市長三期目の在任中、1965年1月に辞職し、第31回衆議院議員総選挙で岩手県第1区に日本社会党から出馬し当選。その後、第33回総選挙まで連続3回当選したが、第34回総選挙で落選した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本弥之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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