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山本 文郎(やまもと ふみお、1934年12月23日 - 2014年2月26日)は、日本のアナウンサー、タレント。TBS〔会社法人としては、現在の東京放送ホールディングス、放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ。TBSは、2009年3月までは、東京放送の略称であったが、同年4月以降はTBSテレビの略称となっている。〕アナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)。妻はタレントの山本由美子〔。 東京市小石川区(現:東京都文京区小石川)出身。一人っ子。1994年9月にTBSを退職してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。 == 来歴 == 1944年、母方の実家がある島根県に一人で疎開する〔。 父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍へ召集。広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日に被爆して全身に大火傷を負った末、15日後に他界した。 東京都立九段高等学校を経て、早稲田大学第一文学部国文学科を卒業。オリンピックの実況を夢見てスポーツ担当アナウンサーを志し、1957年4月、アナウンサー(5期生)としてラジオ東京に入社。同期入社のアナウンサーには青柳純一・岡部達・金坂光春・仁村秀雄・麻生雅子・石川知子・大場ゆかり・草間範子・佐藤美智子・鈴木美江・須藤孝子・前田和子・町田教子・三好和子がいる。大学の友人から「東京生まれの東京育ちだから、言葉のなまりが何もないのでアナウンサーのテストを受けたら」と言われて、ラジオ東京の他に、NHK等にも内定していたが、結局ラジオ東京に入社した。 主に歌謡〔〔・演芸〔〔・情報番組〔〔を担当、念願だったスポーツアナウンサーとして活動していた(後述)。この間、1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いチーフ・アナウンサー、報道局ニュース部専門職部長、報道局編集部専門職部長兼ラジオ局アナウンス室専門職部長(1982年8月10日)、報道総局社会情報局専門職局長(1988年7月26日)、社会情報局理事(1992年1月1日)等を歴任。また、1976年10月から1987年9月25日までは、テレビの関東ローカルワイドニュース番組『テレポートTBS6』で2代目メインキャスターを担当。関東地方では11年にわたって、「TBS夕方の顔」として人気を博した。降板後、『JNNニュース22プライムタイム』の司会となった森本毅郎代わって1987年10月5日からはTBS系列全国ネットのワイドショー『モーニングEye』の2代目司会者となる。1994年9月にTBSを定年3ヶ月前で退職してからも、フリーアナウンサーとして1996年9月27日の番組終了まで9年間にわたって出演した。TBSテレビでは、同番組終了後も、平日午後の全国ネット生放送番組(『素敵なあなた』→『わいわいティータイム』)で引き続き司会を務めていた。 フリーアナウンサーへ転身してからは、土日の2日間にゴルフコンペを主催したり、「昭和九年会」(昭和9年=1934年生まれの男性芸能人による親睦会)のメンバーとしても活動していた。 私生活では、34年間連れ添った先妻を1997年の元日に脳梗塞で亡くしたが、73歳になった2008年1月に31歳年下の由美子と再婚。2008年3月、再婚を機に千葉県鎌ケ谷市へ移住。この再婚が大きな話題になったこと(後述)から、2008年の新語・流行語大賞授賞式で司会を務めたほか、バラエティ番組やトーク番組にゲストで出演する機会が増えた。ちなみに、由美子は山本との結婚を機に、「オフィスぶん」で山本のマネージャーを兼務するようになった。 2014年2月26日午前2時6分、肺胞出血のため千葉県内の病院で逝去。満79歳没(享年81)。前週の19日まで由美子と共にパーティーの司会をこなしてから、21日の深夜に背中や胸の痛みを訴えて入院した末の急逝であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本文郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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