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山本 清衛(やまもと きよえ、1894年(明治27年)2月7日 - 1973年(昭和48年)10月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 高知県出身。山本盛政の三男として生まれる。海南中学卒を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し重砲兵第2連隊付となる。1920年(大正9年)11月、陸軍砲工学校高等科を卒業。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業し野戦重砲兵第2連隊中隊長に就任。 1929年(昭和4年)8月、高射砲第1連隊付となる。陸士教官を経て、1932年(昭和7年)4月、砲兵少佐に昇進し野砲兵第1連隊大隊長に就任。関東軍鉄道線区司令部員を経て、1936年(昭和11年)8月、砲兵中佐に進み参謀本部員(鉄道班)となる。 1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に昇進し参謀本部鉄道課長となる。1940年(昭和15年)3月、山砲兵第27連隊長に発令され日中戦争に出征。1941年(昭和16年)2月、第3師団参謀長に就任し太平洋戦争を迎えた。1942年(昭和17年)8月、陸軍少将に進級した。 1943年(昭和18年)1月、第5特設鉄道司令官に就任しビルマに赴任。兼第2鉄道監を経て、1944年(昭和19年)6月、第33軍参謀長に発令された。1945年(昭和20年)2月、第15師団長心得に発令され、同年3月1日、陸軍中将に進み第15師団長に就任したがイラワジ会戦で苦戦を強いられ、同月20日に重傷を受けた。同年7月付けで四国軍管区司令部付に発令されたが赴任はできなかった。1946年(昭和21年)4月に復員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本清衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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