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山本 秀煌(やまもと ひでてる、1857年12月16日(安政4年10月30日) - 1943年(昭和18年)11月21日)は、横浜バンドの一人で明治時代の牧師、教会史家。 丹後峰山藩士の家に生まれる。1873年8月にS・R・ブラウンが修文館の教師を辞職して、伝道者養成のためにブラウン塾を開く。山本は、押川方義、井深梶之助、植村正久、熊野雄七、本多庸一、島田三郎らと一緒にブラウン塾で学ぶ、1877年に東京一致神学校が開校されると、ブラウン塾からは山本、井深、植村らが転校し、第一期生になる。デイヴィッド・タムソンのタムソン塾からは瀬川浅、服部章蔵、青山昇三郎、三浦徹ら学ぶ。山本は卒業後1885年(明治18年)に高知教会初代牧師に就任した。その後横浜住吉町教会,大阪東教会などの牧師を務める。1908年(明治41年)より明治学院教授として教会史の講義をした。また、、麹町教会の牧師を務めた。 山本は教会法規に詳しいので、日本基督教会大会書記や議長を務めた。日本基督組合教会との合同運動についても中心になって働き、外国のミッションとの協力関係、日本基督教会憲法規則改定でも重要な役割を負った。 == 著作 == *日本基督教会史 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本秀煌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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