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山本粂吉 : ミニ英和和英辞書
山本粂吉[やまもと くめきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

山本粂吉 : ウィキペディア日本語版
山本粂吉[やまもと くめきち]

山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年明治26年)7月25日〔衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、12頁。〕 - 1974年昭和49年)2月17日)は日本政治家弁護士。旧姓は瀬尾。
== 来歴 ==
茨城県新治郡小幡村に生まれた〔。茨城県士族瀬尾由三郎の男〔『人事興信録 第13版下』 人事興信所 編、1941年、ヤ158頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月3日閲覧。〕。絶家山本家を再興した〔。台湾公学校教諭を務めた〔。
明治大学法科専門部に学ぶ〔。弁護士試験に合格し其の業務に従事した〔。台湾富豪林家顧問に就任した〔。
東京弁護士会副会長、司法省委員を歴任した。
1936年第19回衆議院議員総選挙に旧茨城3区から立憲民政党公認で立候補し当選〔第19回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 株式会社VoiceJapan が運営するサイト・ザ選挙 内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたためインターネット・アーカイブ内のページにリンク)。〕。政党解消後の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選〔第21回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕。翼賛議会においては戦時刑事特別法改正法律案委員会の理事を務めた。戦後は幣原内閣の大蔵参与官を務め、日本進歩党の結党に参加したが、翼賛選挙の推薦候補だったため公職追放された。
追放解除後は改進党公認で1952年第25回衆議院議員総選挙に立候補し当選、政界に返り咲いた〔第25回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕。改進党党務委員長を務めたが、翌1953年第26回衆議院議員総選挙では落選〔第26回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕。1955年第27回衆議院議員総選挙では日本民主党公認で当選した〔第27回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕。改進党・民主党・自由民主党内では大麻唯男宮沢胤勇野田武夫小泉純也浜野清吾真鍋儀十中村庸一郎ら旧民政党系右派の政治家が結集した大麻派に属し、大麻の死後、他の大麻派のメンバーとともに岸派に合流。1958年第28回衆議院議員総選挙第28回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕と1960年第29回衆議院議員総選挙には自民党公認で立候補するがともに落選し〔第29回衆議院議員選挙 茨城3区 - ザ選挙 - 同上。〕、政界から引退した。
戦前に3回、戦後に2回、通算5回総選挙に当選した。塩増産本部参与、裁判官弾劾裁判所第一代理裁判長、衆議院内閣委員長等を歴任した。1974年2月17日、80歳で死亡。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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