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山本 重雄(やまもと しげお、1957年9月14日 - )は日本の実業家。株式会社エスワイフードの代表取締役会長。 == 経歴 == 岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市)に生まれる。岐阜県立武義高等学校卒業後、海上自衛隊に入隊し、調理班で活躍する〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 5/6 〕。訓練の合間に、福富太郎著「あなたも一億円貯められる」という本を読み、焼き鳥屋がかなり繁盛させることができる商売であることを学ぶ〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 5/6 〕。21歳のとき、除隊する。 その後、名古屋の居酒屋で、「栄太郎」で1年、「村さ来」で1年修行する。働いていた店の隣に、鶏肉の手羽先唐揚げで有名な「風来坊」の支店があった。名古屋で、「風来坊」からたれの味付けを真似た手羽先唐揚げを出す店が多かった。山本重雄は、手羽先料理に注目する。 1981年6月14日、「串かつ・やきとり やまちゃん」を、名古屋市中区新栄にオープンする。そこの店は、古い木造アパートの一階、4坪13席で、開業当時は、午後6時から午前5時までの営業であった〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 5/6 〕。権利金120万円であった〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 5/6 〕。一人で、その店を切り盛りする。料理は最初は、焼き鳥が多かったが、「風来坊」とは違いタレの甘みを抑えコショウをきかせた「山ちゃん風手羽先」を完成させる〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 5/6 〕。「世界の山ちゃん」の始まりである。日商7万円、月商200万円ほどの店となる〔日経レストラン - 決断のとき エスワイフード社長 山本重雄 編 6/6 〕。開業してから、3年後、1000万円の現金が残ったという。1984年4月に、店を移転させ、住吉店をオープンする。同年8月には、改めて新栄店をオープンさせる。 同年1984年個人営業から、「有限会社世界のやまちゃん」と会社組織とする。1985年、名古屋市千種区に、今池店をオープンさせるものの6ヶ月で閉店となる。1985年4月11日、株式会社となる。1986年10月、葵店がオープンする。1987年11月、千種店がオープンする。1991年、「BAR YAMACHAN」がオープンする。1992年、「となりのやまちゃん」がオープンとなる。その後、「世界のやまちゃん」の店舗が、名古屋市で増える一方で、採算の合わない店は閉店となる。1995年、フランチャイズ化させる。1997年、「世界の山ちゃん」のイメージキャラクターの鳥男が登場するが、モデルは、山本重雄と言われている。 2003年9月に、神奈川県の川崎砂子店がオープンする。これが、「世界の山ちゃん」、関東地区オープンとなる。2004年3月、東京都新宿区に新大久保店がオープンする。5月に川崎仲見世店がオープンとなる。6月に新大久保2号店オープン。7月に西武新宿店オープンとなる。2005年6月には、北海道札幌市に「すすきの南3条店」がオープンとなり、北海道地区最初のオープンとなる。2009年5月、広島胡店がオープンとなり、広島地区最初のオープンとなる。2010年9月現在、「世界の山ちゃん」は63店舗展開する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本重雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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