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山本 隆弘(やまもと たかひろ、男性、1978年7月12日 - )は、日本の元バレーボール選手、バレーボール全日本選手。鳥取県鳥取市出身。鳥取県立鳥取商業高等学校~日本体育大学体育学部体育学科卒業。ポジションはオポジット。Vプレミアリーグのパナソニック・パンサーズに所属していた。現在は解説者、タレント。 身長201cm、体重99kg、靴サイズ32.0cm、最高到達点355cm == 来歴 == 友人に誘われて、鳥取市立東中学校2年よりバレーボールを始める〔山本 隆弘 ピックアップフェイス バレーボール パナソニック スポーツ Panasonic 〕。 長身の左利きプレイヤーとして日本の将来を携える選手と、2000年に当時の監督だった田中幹保によって全日本に選出された。サウスポーゆえの逆回転ジャンプサーブを武器としている。 2003年ワールドカップではベストスコアラーとMVPを獲得し、アテネオリンピック最終予選でも日本の期待を背負っていたが、出場権を獲得することはできなかった。 2004年プロ契約を結ぶ。そして、アシックスとアドバイザリースタッフ契約を締結。 監督が植田辰哉に代わると、戦術上の問題(スーパーエースを置かず、サーブレシーブをさせる戦術)により、2年ほど全日本には招集されなかったが、2006年世界選手権代表候補の中に選ばれ、スーパーエースとして試合終盤の驚異的なスパイク決定率などでベスト8入りの大きな原動力になった。 2007年ワールドカップでは、腰のケガが完治しておらず清水邦広にスタメンを明け渡す場面があり、途中からのワンポイントブロッカーでの起用が多くなった。しかしスタメンで出た試合で結果を残し、2008年北京オリンピック代表に選出された。 2010年からは、Vリーグにおいてミドルブロッカーとしても出場している〔函館 2010年12月11日|山本隆弘オフィシャルブログ「志」Powered by Ameba 〕。 2011年、3年ぶりに全日本登録メンバーに選出された〔山本隆弘、3年ぶりの全日本代表に懸ける想い|スポーツナビ バレーボール 〕。2012年のロンドンオリンピック世界最終予選に出場したが、予選敗退のため、オリンピック出場は成らなかった。 2012年10月1日、2012/2013年シーズン限りで現役を引退することを発表した〔山本隆弘選手の引退に関するお知らせ パナソニックパンサーズ プレスリリース 2012年10月1日付〕。2014年1月よりVリーグの排球大使(アンバサダー)に就任〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本隆弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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