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山本 鼎(やまもと かなえ、1882年(明治15年)10月24日 - 1946年(昭和21年)10月8日) は、愛知県岡崎市出身で、長野県上田市に移住し、美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた版画家、洋画家、教育者である。長男は詩人の山本太郎。画家で詩人の村山槐多は従弟。 == 来歴 == === おいたち === 山本鼎は1882年(明治15年)10月24日、愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市)に父一郎、母たけの長男として生まれた〔「山本鼎年譜」『開館記念特別展 山本鼎のすべて展 「自分が直接感じたものが尊い」の実像に迫る』上田市立美術館 2014年〕。間もなく、漢方医の父が医師資格取得に必要な西洋医学を学ぶため上京、一家は東京浅草区山谷町に移住した。小学校を卒業した鼎は、浜松町の木版工房で桜井虎吉の住込み徒弟となり、版画職人として自立する道を歩み始める。鼎16歳のとき、父が長野県小県郡神川村大屋(現上田市)に医院を開業、一家は移住、鼎にとって上田は第二の故郷となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本鼎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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