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山村 幹弘(やまむら みきひろ、1936年5月23日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 == 来歴・人物 == 熊本工業高校では、三塁手として1954年の春の甲子園に出場。エース添島時人(巨人)を擁し準決勝まで勝ち進むが、この大会に優勝した飯田長姫の光沢毅投手に0-6で完封された〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏も夏の甲子園予選西九州大会決勝に進むが、長崎商に敗れる〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。添島の他、チームメートの西園寺昭夫、田中春雄(阪神)、酒井啓吾(大洋)がプロ入りしている。 1955年に大洋ホエールズへ入団。新人ながら同年には二塁手、三塁手として起用され、60試合に先発出場を果たす。翌年も三塁手として活躍するが打撃面で低迷、段々と出場機会が減り、1958年限りで引退した。その後は社会人野球の電電九州に入る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山村幹弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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