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山根 雅仁(やまね まさひと、1975年11月19日 - )は、岡山県和気郡日生町出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 小学校4年生の時に寒河スポーツ少年団でサイドスローの投手として野球を始めた〔朝日新聞、1993年11月21日付朝刊、岡山地方面〕。翌年には岡山県大会で優勝し、日生中学では三塁手を務めて県大会を制している〔。岡山南高では2年生の秋に肩を故障して投げられない時期があった〔が、3年夏のに夏の甲子園にエースとして出場。岡山県大会では打者としても打率.467を記録している〔朝日新聞、1993年8月4日付朝刊、P.20〕。本大会では初戦で高橋尚成と玉木朋孝を擁する修徳高と対戦し、0対2で敗れた。 しかしフォームの柔軟さと球のキレは高い評価を受け〔読売新聞、1993年8月18日付夕刊、P.3〕、大会後にはヨーロッパ遠征の日本代表に選ばれている〔。最速147km/hの速球とキレの良いスライダーが評価され〔、同年のドラフト会議で広島から1位指名を受けて入団。担当スカウトは佐伯和司、契約金と年俸はそれぞれ8,000万円、540万円(いずれも推定)だった〔読売新聞、1993年11月28日付朝刊、P.19〕。なお同年は希望入団枠制度が初めて導入され、球団側は当初山部太や三野勝大の指名を検討していたが合意に至らず〔朝日新聞、1993年12月7日付朝刊、広島地方面〕、結果として山根が1位で指名されている。 入団後は肘の故障などもあって結果が残せずに引退。その後、同球団の育成部主任やスコアラーを経て、編成部国際業務部兼育成部ファーム管理課長として二軍に帯同しながら外国人の補強に携わっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山根雅仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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